遊戯デッキに見る、本当の”遊戯王”

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ひき考(ひきこもりが考える)

 

ゲームは人生。

人生はギャンブル。

ゆえにゲームはギャンブル。

 

 

どうも、ひきこもりたいともです。

今までガチったカードゲームは、遊戯王とカードコマンダーの2つです。

遊戯王は小規模大会で何度か優勝。

カードコマンダーはランカーとして名を連ねたことがあります。

 

その上で深く思うことがあります。

「武藤遊戯」こそが、本当の「遊戯王」なんだ、と。

 

ちなみにこの動画を見て思い浮かんだ記事です。

 

 

フフ……運命(ディスティニー)ドローとは、よくぞ言ったものだ……

運命は、ない。

 

遊戯王(カードゲーム)は基本的に確率のゲームです。

デッキ枚数分の1を、如何にハズれなく引けるか。

というゲームです。

 

カードゲームをやったことが無い方からすると信じがたいかもしれませんが、基本的に「コンボ」……つまり、ブラックマジシャンが場に出ている間のサウザンドナイフ(特定モンスターが場に居るときに、敵を破壊する)というような、2枚以上の組み合わせで初めて効果を発揮するカードは弱いです。

弱いというか、引ける確率が下がるので、1枚のカードの強さを1として、2枚のカードの組み合わせが3だとしても、確率的に元が取りづらい故に強くない。

 

なので、複数のコンボを組み合わせるデッキよりも、すべてのカードどうしがゆるやかにつながっていて、「デッキに眠っている、何を引いても活躍する」というのが、カードゲームにおける、理想です。

 

より本質的に言うのであれば、できることが少ないデッキのほうが強い。

要するにゲームにおける器用貧乏は弱いんです。

「あれもできてこれもできて」というのは「あれもできずこれもできず」になるリスクを持っているということです。

 

 

 

プロとは、他人を楽しませることである

上でも書きましたが、僕は二つのカードゲームで(恐らくプレイヤーの)上位1%以上の層でした。

しかし、その戦いに華があるか? と聞かれると、NOです。

 

同じ性格をした、そこそこやり込んだカードゲーマーという、稀有な立場の人から見ると、僕の動きは多分面白いものだとは思いますが……多くの同ゲーマーから見たら、正直何が面白いのかが分からない、かなりシンプルな動きを繰り返すデッキを使っていました。

 

それじゃ、どんな戦いが……カードゲームを観戦する人は、何が「面白い」と思えるのか?

結論を言うと、「戦いの華」です。

ドローに、運命を感じるかどうか、ですね。

 

僕の場合、基本的に「ほとんどの試合で無難に戦える確率を極限まで高める」という戦略を取っていたので、非常に淡々としていました。

「何を引いても、いつでも役に立つ」というような戦いです。

 

しかしそこに感情は生まれません。

基本的に、なるべくしてなるように作られていますから。

 

だからこそ「遊戯王」は武藤遊戯なんだ。

遊戯王の原作は、マンガです。

マンガなので、ストーリーは作られたものです。

当然ストーリー中にあるカードの「引き」は作者の手の内です。

 

魅せるための「コンボ」

逆境の為の「強敵(相手の強力なモンスター)」

そしてそれを打破するための「ドロー」。

 

最初の、海馬との試合も、まさにその流れです。

「エクゾディアをそろえられるかどうか」というのは、もはやカードゲームの実力でもなんでもなく、ただの運です。

そしてその運を、魅力的に演出するから、「遊戯王」なのです。

「遊戯」の「王」足りうる存在として作られた「武藤遊戯」というキャラクターなのです。

 

故に、ピンチにならない固い立ち回りを繰り返す僕は、「遊戯王」になれません。ま、まぁ、なる気もないですが……。

「遊戯王カードの王」は目指していたわけですが、華の無い戦いには客が来ない、というのも今なら理解できます。

 

んで、これってどんなところにも言えるし、「勝ちにこだわる」ってところに、客が集まるとも言い切れない理由もここです。

 

強い事と、ファンが多い事。

賢い事と、金につながる事。

製品の性能と、売り上げ。

 

これらが比例しないのも「遊戯」要素=感情がないからなのです。

「こんなに素晴らしいものなのに」ってやつは、大体そこが原因。

 

ブログもそうだから、常に楽しませるってことを考えて書いてかないとね(という自分の思考整理というまんま楽しませることを放棄した記事を書くマン)

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