2023年に引き続き、2024年も遊んだゲームの感想を書き連ねていきます。
1月くらいに遊んだゲームの感想&思考日記。
2023年の「その1」に注意事項など書いてあります。読んだほうが良いかもしれません。
読まずとも基本的には「夢中になれた度合い」です。
Fit Boxing2(体験版) ☆0
判定がカス過ぎてゴミ。クソゲーではなく、ゴミです。
太鼓の達人で「バチ」が叩いた瞬間ではなく手元に戻ったタイミングで「ドン」と鳴る……ってなったら気持ちよさゼロですよね。
なんと、このフィットボクシングはそれを実現しています!
上の「just」は本来音が鳴ってほしいタイミングから14フレーム後です。
要するにこのゲームはバチの代わりにパンチで判定する音ゲーなんですけど、腕が伸び切ったタイミングではなく腕を戻し始めるタイミングで音がなるんですよね。
「音ズレ」とかではなく、あくまで「アクション判定」が「joycon内で腕が伸び切ったことが判断できた時(おそらく)」なので、腕を伸ばしきった(音がなって欲しい)タイミングで正誤判定、その次の瞬間(腕を戻し始めた後)に「バシィ!」とヒット音がなります。
いや、実際はいつアクション判定かはわかりませんが、少なくとも「判定音がなってほしい時」にはならなくて、それがどのタイミングであろうと自分がなってほしいと思っているときにならないのはダメなんですよ。
……ややこしい言い回しになってますが、例えば太鼓の達人って判定が「用意された”モノ”」依存じゃないですか。固定されているタイコにバチがヒットした瞬間。「タイコをヒットした瞬間」が「音がなってほしい時」だとわかるわけですよね。だから、気持ちよく音がならないとしても、「何が良い(悪い)か」が明確になりやすい。太鼓そのものが原因なのか、環境による音ズレが原因なのか。
でも逆に、Fit Boxingはそういった「原因」がフワフワ。「人間という個人差のある入力インターフェイス」「『腕が伸び切った』タイミングで鳴っているかわからない判定タイミングのガバガバさ」などから音ゲーのハズなのに、ズレている要因が一生わかんないんですよね。
んでこれ、他の動作の判定がガバガバなので、よりそう思ってしまう。ジャブ→ストレートみたいなコンビネーションの時に、ジャブを戻す動作でストレートが超早期判定されてしまうことがあったりとか。「いつなにをもって判定されているのか」があまりにもユーザーにとって分かりづらい。
音ズレ補正オプションの意味がない音ゲー
このゲームにもオプションに音ズレ補正とかもありますが無駄です。あくまでこれは「環境(スピーカーやテレビ)のせいで、実際の音が前後にズレている時」に調整できるものであって、「ゲーム内の判定タイミングがそもそも狂ってる(判別不可能である)」ことは何をやろうが修正できません。
基準点に対してのズレを修正することが「音ズレ補正」の目的であり、基準点そのものがズレているとしたら、そこに合わせたら「他の部分」がズレます。
「音ズレ」かどうかすらもわからず、「音がなってほしい時に鳴らすための動作がそもそもわからない」ので、リズムと体を合わせる体験は一生できません。仮に合っても自身が判定を理解しているわけではないので運が良かっただけ。運で判定タイミングがズレる音ゲーってなんだよ。
基本的に音ゲーとしては「絶対に判定が音ズレする」ので☆0のデキ、ゴミです。
絶対に体験版を触ってから買いましょう。
まぁ、ワンチャン僕のリズム感が狂ってる説もあるので、(普通のゲームなら「絶対にさわるな」くらい言ってると思いますが)「どうしても気になるなら体験版から触るべき」という程度にしておきます。
とは言え個人的評価としては、絶対にリズムが合わない音ゲーなので☆0です。
ところでツイッターで「fitboxing 音ズレ」みたいに検索しても、ほとんど情報が出てこない。なんだなんだ? 情報統制か? 電波妨害が怖いから頭にアルミホイル巻いとこ……。
ちなみに、他にも細々してることキレておきますけど、そもそも「パンチで音判定」のゲームなのに、音ズレ補正はボタンでやるってのがおかしいだろ。
ゲームとプレイヤーをあわせることが目的なら、パンチで音ズレ補正をすべきでしょ。
これで本来は結構解決するはずなんですよね。どこで判定されていようと、プレイヤーが「パンチをした」と思ったところが音とどのくらいズレているかがゲーム側が算出して、それをヒットタイミングとして補正すれば少なくともボタンポチポチよりよっぽど合う確率が高い。ボタンで補正はこのゲームにおいては価値がほとんど無いです。
そして、そのズレを修正したことを確認するための機能がまた遠回り。
体験版だと「残りプレイ回数」が存在するので、実際にプレイすると今後「仮にリズムが合った時の体験量が少なくなる」んですよね。
だから、残り回数のないチュートリアル的なやつでリズム合わせをするんですが、そのチュートリアルで実際に自分の操作と音をあわせられるまでに3分くらいかかるんですよね。なんで音ズレ補正後のテストに3分もかかるんだよ。
体験版なのに、体験が正しくできるようになるための仕組みが整っていない。
仮に製品版だとしても、どっちにしろ普通に曲をスタートして最初の判定のタイミングまで待たなきゃならないので、30秒~1分くらいかかるんじゃないでしょうか。
あまりにも体験が磨かれていなさ過ぎる。
老害ゲーマーのぼやき
いやまぁそれは置いといて、僕のような文句を喚き散らす老害ゲーマーが少ないんだろうなぁの気持ち。
なんというか「ゲーム」に「自分」をあわせていくことで、ある程度調整できるんですよね。
さっき言った判定調整の話であれば、ちょっと早くパンチを出すだとか、そういうことで対策可能。(音と自分のリズムが合うとは言っていないけど、パーフェクト(just)判定の音と音楽をあわせることはできる。繰り返しになるけど、それが音ゲーとして正しい姿だとは思わない)
で、「普通の人」は、「自分を自分以外に合わせる」のが得意。というか「自然」とやってしまう。だから、ちょっと変でも「ちょっと変だなぁ。こうすれば合うかな」で「自分」を変える。
でも僕のような老害厄介ゲーマーは「おかしいことはおかしい」で自分をゲームに合わせようとしない。だから無限に文句が出る。
スウェーやアッパーなどで「判定がおかしい」という文句は結構見かけましたが(それはそれで非常にわかる。ワンツーですら手を前に出していないのに判定されて、早期判定になる)「パンチのリズムが合わない」というのはほぼない。
みんな、音ゲーとしてやってないのか? いやでも音ゲーとしてやってないとしたら、このゲームのリズムに乗せた「just」やら「miss」やらの判定はなんのために存在するんだ?
あと個人の好みで、キャラクターオフとか、字幕もっと大きく音声オフとか、そういうのできないのもダメだなぁと思ったりしました。
ただまぁ、良くも悪くもリングフィットで高まりすぎた体感ゲームへの期待が適正値に戻った程度で、別にゲームとしてがっかりするとかいう次元の話ではないですし、「はるか昔にクソだと思った体感ゲームの進化はあまりなく、有名なフィットボクシングですらこれだけのゴミなんだから、ほかの体感リズムゲームはどうなんだ?」と他のゲームのプレイ動機になったことはよかったと思います。(他ソフトいくつかの体験版をダウンロード済み)
一応「運動」としては座ってコントローラーを握ってゲームをしているよりは、体を動かしているので「運動」になるとは思いますが、繰り返しになりますが「(体感型の)音ゲー」として捉えるとゴミです。
「ゲーミフィケーションを活用した運動」と、運動側での楽しさを評価するなら、まぁリズムに合わせて体を動かすということが楽しいので、虚空にシャドーボクシングをするよりは楽しいと思います。
でもYoutubeとか見れば「ボクシングっぽい動きを真似して痩せる!」みたいな動画めちゃくちゃ転がってるので、そういうの見ればいいんじゃないかなぁということでこのゲームの価値はやはり無いように思います。
ローガイリフレイン
ここまでの文章を書いたのって、1月半ばくらいで、現在3月6日。
ずっと何か引っかかっていたのが言語化出来そうなので、改めて書きます。
まぁ「評価を見直した」とかではなく、「躊躇なく0点をつけられる」という意味なので、別0点から変わらないです。
繰り返す老害。老害リフレイン。
ゲームとして捉えた時。ことさらリズムゲームとして捉えた時0点という評価。
でありつつ、「そこまで言うほどか?」という疑問がずっと心に引っかかっていたんだけど、やっぱり0点だなと思ったこと。
やはりまず、前提として「ゲームの仕組み」と「運動の仕組み」の融合が重要。
リングフィットは「動作がちゃんと行えたか」が判定の基準なんだよね。
「動作がちゃんと行えたか」とはつまり、運動を目的に据えたゲームであれば「運動がちゃんと出来たか」ということであり、そしてそれはつまり「ちゃんと運動ができれば、ゲームの攻略につながる」ということなんだよ。
でもフィットボクシングって、「ゲーム内の判定を『良』にするための動作がちゃんと行えたか」と「運動がちゃんと出来たか」は別に考えられてる。
だって「運動をちゃんと行おう」とすればするほどに、判定に悪影響を及ぼすから。
大きく体を動かすと、次の動作判定に悪影響がある。だから判定に影響しないようにできる限り体の動きを効率化(誤動作の検出を減らすのと、リズムズレをなくす)するという過程は、やはりリズムゲーに寄った作りになっているということ。
太鼓の達人って、太鼓を叩くように叩いてたらスコア出ないんですよね。「鬼」をやるときに、太鼓で大きな音を出すようなフォームでやってたら、到底間に合わない。太鼓の達人はむしろスネアドラムの叩き方に近いと思われます。
でも太鼓の達人は「太鼓練習ゲーム」ではなく「リズムゲーム」であるから、叩いたときに「ドン(あるいはカッ)」の判定がズレなくあればそれでいいんですよ。
そしてそれと同じ基準でフィットボクシングをリズムゲーとして評価したとき、リズムゲーとしてはあまりに設定項目不足であったり、音と合わないであったりで、0点って話です。
本来音が鳴ってほしいタイミングというか、判定を行ってほしいタイミングって、腕が伸び切った瞬間を1.00だとしたら、0.99とかなんだよね。1で判定したら、音の出力って1.01になるわけじゃん。だから、0.99で判定を行って、1で鳴らす。これで動作と音が一致する。(もちろんこれはこういう身体を大きく動かすゲームの場合)
でも、多分、このゲーム、「1」で判定してるんだよ。だからズレてる感ある。
いや、繰り返しになるけど、僕の感覚がズレている可能性はなくはないから、気になってる方は体験版で試してみてほしいんだけど。
つまり、音ゲーとしては出来損ないだし、ボクササイズゲームとしてやるには音ゲーが足を引っ張っているという話。
結局スイッチで運動ゲーをやりたいなら、現状リングフィット一択です。
リングフィットだとあくまで「動作が小さければ不可判定」「動作をしっかりと行っていれば良判定」なわけで、少なくとも運動的な部分は最大効率が出せるようになっている。
そして上手いのが、「ゲーム部分はRPG」にしていること。「ゲーム」は戦略部分として、運動部分はそれを実行するための入力装置、という仕組み。(一部例外はあるけど、基礎的な話ね)
これで例えば普通のゲームデザイナーであればやりがちな(フィットボクシングと同様の)「運動とゲームの融合だ!」みたいにして、「ゲームの戦略と実行」を一緒くたにして、ビミョー判定で遊ばせるゲームを押し付ける。
結局任天堂ってネームバリュー以前に、非常に論理的に面白くなるように(あるいはゲームとして崩壊しないように)作られているからこそ、結果的に面白いゲームが作れるんだよなぁという
逆に言うなら、大多数のゲームは「なんか面白そう」くらいで開発されてるんだよなぁ、という憂い。
そしてその基準でいうと名作ではないインディーゲー以下のデキで平然とリリースされているネームバリューだけのゲームあるよなぁという悲しさを覚えました。
フィットボクシングは、その憂いを改めて実感する物体(ゲームと言いたくない)でした。
MotoGP 22 ☆7
ゲームパスで5時間ほどプレイ。
今まで遊んだことがない、リアル系のバイクゲーム。
いやぁ、マリオカートって、ちゃんとゲームとして面白くなるように調整されてるんだなぁ、という感じです。
その、攻めるのが面白いじゃないですか。マリオカートって。
基本的にはアクセルを踏んでない時間がない。で、ぴょんと跳ねてからのドリフトで、超鋭角に曲がって、そして落とした速度はドリフトターボで加速に変わる。それが気持ちいい。
でもこのMotoGP22は、「いかにブレーキのタイミングをベストにするか」がスタート地点なんですよね。
物理法則に則っているので、アクセル踏みっぱなしだとマジでコーナーが曲がれない。150%コケます。(同じカーブで平均1.5回コケるという意味。いや、ジョークじゃなく。)
体感的には3~4秒前からブレーキorアクセルを離すという動作が必要。
僕はバイクに乗れないので自転車で考えますけど、自転車も曲がろうとした時、速度しっかり落としてハンドル10度くらいしか曲げないじゃないですか。
まっすぐ走ってる時にいきなり90度ハンドル曲げたら転倒しますよね。現実だと。
でもマリカってそれを叶えてくれるんですよ。もちろん限度はある程度ありますが、もともとの十字キーがデジタルスイッチ(アナログスティックと違い中間がない)なので、必然的に実質90度ハンドルを曲げることを許容せねばならず、その上で気持ち良いゲームになるにはどうすればいいか? が考えられたわけです。
もちろんそこにリアルさというのは存在しないわけですが、レースゲーム(というかレースそのもの)の本質である「タイムを追求する楽しさ」にはリアルであることは必須ではないんですよね。タイムを追求するわかりやすいフォーマットとして、車などをモチーフにしているゲームが多いというだけ。
RTAが遊び方としてメジャーになったように、タイムを追求する楽しさは「リアルなレース」という体裁を超えたゲームの本質的な楽しさの一つ。
そこと地続きで最新作のマリオカートも基本的にアクセル踏みっぱなし、スティックを真横に倒すのが基本で「如何に攻めるか」というゲームになっている。(と言って、マリオカート8までしかやったことないんですけど、それのアップグレード版ということを考えると大きく変わってないはずなので)(そしてその弊害として、逆にドリフトを一生するゲームになってたりします。「ゲームでレース」をやりたいか、「レースでゲーム」をやりたいかという個人の欲求で評価は大きく変わりそう)
一方、motogp22は「いきなり曲がる」ことが全くできない。リアル志向だから。
曲がるためにはしっかりと速度を落とさなければならない。速度を落とさなければ当然コケます。
そしてハンドル(スティック)も突然真横に倒してはならない。ジワ倒しからスタートしないと、うまく曲がれない。
言うまでもなくドリフトダッシュもない。速度を落として、じんわりとまた速度を上げる。
でも速度が上がりきらず、また次のカーブのためにじんわり速度を落とす。
………………うーん。
これ、多分、実際にバイクとかに乗ったことのある人であれば、リアリティを感じて没入感高いのかもしれません。
でも僕にとっては「攻められないマリオカート」という感じで、リアルではあると思うものの、”ゲーム”としてはイマイチという感じでした。
それこそバイク型の筐体で、VRマウントディスプレイ的なやつを装着してプレイできれば、かなり没入感を得られそうです。ただまぁ結局モニターとコントローラーでプレイするのが前提ですからね。リアリティがそもそもないのに、ゲームの中でばかり入力にリアルさが要求されるのは、ゲームとしてよろしく無いと思います。
あ、でも、リアリティという意味で言うと、音(SE)はとても良かったです。
景色というか映像部分は昨今のUE5の情報などを追っていると「リアル志向の極み」にはまだまだ到達してないなぁ、という感じでしたが、音の感じはかなり良いと思いました。
まぁこれも実際にサーキットを走ったことがないのでリアルと同一かはわかりませんが、少なくともリアルに感じることはできました。
と、文句を言ったものの、ビデオゲームにおいて「狙って打つ」と「タイムアタック」が面白いの法則(僕が勝手に言ってるだけ)から、やはりタイムアタックが存在するこのゲームも、それなりに熱中できちゃいました。
なによりリアルに則った「操作困難感」が逆に挑戦心を燃やしたというか
プレイ開始直後は「タイムを出す」とか、そういう次元じゃないんですよ。すべてのカーブで2回ずつコケるレベル。
タイムを記録する前提が「コケず・コースアウトせず」なんですけど、まずそれが全くできない。
それが徐々に上達して、(「SEPANG INTERNATIONAL CIRCUITというコースで)2分半、2分20秒……と刻んでいき、約1分52秒まで縮められた時は「やった!」となりました。(とは言え(続編で)調べた感じ1分35秒がワールドレコードっぽいので、いくらでも改善の余地がありますが、完走できなかった頃と比較するのであれば、自分の中では大幅な進歩であり、成長の実感はゲームをプレイする原動力の一つです)
↓これはワールドレコードの動画。
っていうかあまり人気がないのか、動画を上げる文化が根付いていない界隈のゲームなのか、動画が全然見つからなかったです。
コース名の検索もよくわからんですし。(先程書いた「SEPANG INTERNATIONAL CIRCUIT」もゲーム上でそう表示されていたコース名っぽいやつだったというだけで、この動画と同じコースなので「portimao」というのがコース名なのかもしれない)
そもそも車体の設定もよくわからんですし、コントロールできることもよくわからんですし、わからんことばかりです。
というのも含めて、まぁ、結局、ゲームとしてならマリカやったほうがいいよなぁの気持ちが芽生えて終了。1コースをそれなりに走れるようになるまでの数時間はかなり熱中して楽しめました。
ガーデンストーリー ☆6?
ゲームパスで8時間ほどプレイ。
ゲーム自体は要するに2Dゼルダです。散々こすられ尽くしたゲームシステムであります。もちろんいくつも細かな違い(スタミナ性の採用であったり)はありますが、特別新しいゲームではないです。
そして序盤はクソほど文句が出ました。(詳しくは後述)
しかし、クエストでやることの量、マップで行ける範囲の拡大速度、自キャラの育成(できることの広がり)速度、ひっじょ~~~にちょうどよく作られてました。
わりとやめどきがわからず夢中でプレイ
「これと、これと、これをやって……今日できそうなことは一通り終わりだ! このクエストをこなしたらメインストーリーが進むだろうからセーブ(睡眠)して……
起きたらメインストーリーを進められるのと、さらにまた新しいクエストが来て、これと、これと、これをやって……」
と、ついついプレイしてしまう丁度いい塩梅。
音楽も耳に残る神曲は無いものの、SFC時代並のゲームにあったちょうどいい感じのBGM。(秋のBGMが好きでした。公式が上げてる動画リンク)
効果音は若干の安っぽさを感じるものがあるものの、全体的に触っていて気持ちよいものが使われています。
クソ要素
最初に後述すると言っていた序盤のクソ要素は
- デザインがゴミ(背景が分からなすぎ)
- スムーズな移動の阻害をするオブジェクト
- セリフの揺れ
あたりです。
最初に貼った画像、スタート地点なんですけど、どこが歩けて、どこが歩けないのか、わかりづらすぎませんか? 一見平面に見えてどこにでも歩けるようにも見えるような、何が反応するオブジェクトなのか壁や背景なのかがわからないような。なんか明るくなってるところに何かあるのかなと思ったらただのライトだったりとか。
あとはそれも含めてですが「ここに進みたい!」と思った時、なれるまではめちゃくちゃオブジェクトに引っかかります。背景とオブジェクトの違いが分かりづらいのと、ゲーム的にそこに邪魔なオブジェクトが合っても移動がダルくなるだけ、みたいなところに平然とオブジェクトを置いている。
あとはセリフも、なぜか会話するたびに若干セリフウィンドウが揺れまして、そういうのも含めて視線が迷い続けて、2Dゲームなのに若干酔いました。
最近妙にこういう2Dゲームなのに酔うことが多いんですけど、なんとなく画面がモノ寂しく、全体的にぱっと見のインパクトを強く(これが最初のゴミ要素である背景が分からないにつながる)して、揺らしちゃならんもんを揺らしてそれっぽくして誤魔化している印象があります。
余談ですが、古のゲームたちは機能的にそういった問題が発生し得なかったのかもしれません。色数の制限や、処理の軽減(というかそもそも可能か不可能かという次元での処理性能の少なさ)から、「変なことにそもそもならない」という。だから逆に、古っぽいゲームを作るのであれば、一度そういう古いゲームに思いっきり寄せてみるってのはありなのかもしれません。余談終わり。
んで徐々に上述したクソ要素に慣れつつ遊んでいたわけですが、最後に立ちはだかる進行不能なバグがありました。
ゲームの流れが季節にのっとったもので、春夏秋と来たので、あとは冬で終わりかとおもったんですが、秋のラストで「スコップで穴を掘る」という動作があるんですが、その動作を何度かするとゲームがエラー吐いて落ちました。
セーブが遠いので、「もうやめだやめ!」という気持ちになったものの、上述した通り、やめどきがわからん程度には結構楽しんでプレイしてたんですよ。
だからたまたまであることを信じ、もう1時間ほどかけて同じ場所まで進んで、いくつか穴を掘って進めそうな雰囲気もありましたが、結局ラー落ち。
というので0点です!
……と、普通のゲームなら言いたいところなんですけど、別にストーリーおもろいわけでもなかったですし(逆説的に「ストーリーを最後まで楽しめなかった」という理由での減点にはならない。なんとなく触ってシンプルにクエストを消化する楽しみで遊んでいた。一般的なオープンワールドゲームでラスボス的なものを倒さずとも十分楽しんだと言うような感じで。)、少なくともエラー落ちするところまでは「楽しんでプレイはできた」というので、7点程度の楽しめる体験から中途半端なところで終わってしまったで-1点、6点でした。もちろんおま環的な要素もあるとは思うので。
まぁ、そしてそれは同時に、とは言えそのエラーをどうにか解消しようと言うほどの神ゲーでもなかったとも言えまして。やっぱり6点以下が適切に思います。どれだけ甘めに見積もっても7点。
僕としては途中までではあるものの十分楽しみましたが、オススメも出来ないタイプのゲームでした。
パルワールド ☆9
素晴らしいゲームでした。
ゲーム自体の面白さもさることながら、昨今抱えたゲームへの思いを刺激されまくりました。
年初にプレイしたものの、既に「個人的GOTYあるのでは?」という感じ。
感想書いてたら1万文字を超えてしまったので、このゲームに関しては別記事で語っています。
(パルワールド感想)
……ちなみに上の記事でゲーム自体の感想は語ったので、ゲームの直接的な話からは少しズレるというか、一歩引いた目線でちょっぴり語っておきますが、多分、ほんとうの意味でゲームの話題に食いついているゲーム好きが少ないのかなぁ、との憂慮があります。
その、パルワールドが盛り上がったのって、8割「ポケモンに似ている」だと思うんですけど、その8割の中の8割くらいは「パクリだから遠慮なく正義棒振り回して殴れる!(マイルドに言っても「ネタにできる!」)」という勢力だと思っています。
まぁだから良い悪いという話ではなく、昨今の僕が感じているゲームに対するユーザーの態度(もしかしたらそこに限らずSNS全体と言っても良いかも)や評判の違和感はわりとそこに集約されていると思っていて。
別にゲームを本当の意味で好きなのではなく、「ゲーム」という話題を共有して消費するのが好きみたいな。
ゲームそのものに盛り上がっているというよりは、「『ゲームの盛り上がり』に盛り上がっている」みたいな。
そう思ったのは「普通にゲームやってたらそうはならんくない?」みたいな違和感のある意見や評判が多かったから。
そして、その評判に引きずられてレビューとかの方向性もそっち寄ったものが多いと感じました。(これは僕もまぁそうなんですけど)
んで、今回はゲームパスに入っていたので速攻遊んだ上でレビューを見ていたのでそれに自覚的になれたわけですが……
一方で普段ゲームを遊ぶスタート地点が他の方のレビューであることが多いんですが、「(事前の盛り上がりから派生したバイアスがかかった)レビュー」の丸括弧を見逃しつつレビューを参考に購入し「ちがうやん」と失望することが多かった。(と言っても、レビューを除外するともはや遊ぶ手がかりがほとんど存在しないので、頼らざるを得ないんですけど)
余談ですがそれ故に逆張りというか、「そのレビュー、違うよね」がこういった記事を書く原動力になっている感はあります。
話は戻って、パルワールドの場合はむしろそれが逆に良く作用したというか、「前評判(見た目で否定的な意見が多かった)だと悪評が目立つけど、実際プレイしたら全然そんなのゲーム自体の面白さと関係ないじゃん!」というような、良い意味での意外性があったように感じます。
そして同時に「実は全然ゲームと違うところでの評価が市民権を得ているゲームが多いよなぁ」と思ったという話です。
つまり、繰り返しになりますが「ゲーム(プレイ)」が盛り上がっているのではなく、「『ゲーム(というコンテンツ)の盛り上がり』に盛り上がっている」という性質。「ゲーム」が主なのではなく、「ゲームの周りの要素」が主になっているという潮流。
そして、そんな潮流の中で「ゲーム」である、という一点で遊び尽くせたこのゲームが、本当に素晴らしかった、という話です。
まとめなど
というわけで、2024年にプレイしたゲームの感想その1でした。
とにかくパルワールドが傑作で、長文感想記事でも書いた通り、「ゲームの希望」という感想すら(多少大袈裟ながらも)浮かびました。
ただそれと同時に、一般的なゲームレビューへの憂いもまた別に出てきて。
この記事で書いた通り「一般的なレビュー」の内容もかなり外的要因で左右され、信頼することが難しくなってきてるよなぁという話です。
(勿論言うまでもないですが、継続的・好みの傾向も無しに感想を出し続けるいわゆるゲームメディア的なものはもともと信頼できないので)
まぁそれも仕方ないんですよねぇ。「レビューが複数ある程度には知名度のある作品」はもはやそういったバズがないと生まれ得ず、まともに参考にできる量のレビューのある作品はバイアスかかった前提であるっていう構造になるので。
というわけで、今後は今まで以上に文句をブリブリ垂れ流しながら感想を書くことになりそうという話でした。(そうかな?)
と、同時に、「購入」の参考にレビューを見るわけですから、「購入」が必要ないゲームパスで気軽に遊んでいく重要性が上がったような気もするなぁ、という予見もあります。
僕はシンプルに楽しいゲームを探して、シンプルに楽しいゲームをプレイしたいだけなんですけどね。
関連記事
遊んだゲームの感想記事一覧があります。
ゲームのサブスク、ゲームパス最高だよって話とお得に加入する方法をまとめた記事(パルワールドも遊べるよ)
僕のゲームライフを支えるゲームパスにオトクに加入する方法をまとめた記事。
コメント(承認制のため反映まで時間がかかります)