ひきこもりは悪い事? ひきこもりって、かなり素晴らしい立場なんだよな。

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ひき考(ひきこもりが考える)

どうも、ひきこもりたいともです。(挨拶)

 

このタイトルで検索から来てる方は、もしかしたらひきこもりの方かもしれません。

羨ましいなあああああ!!!!!! 嫉妬で気が狂いそうだぜ!!!!!!

 

というくらいに、僕は引きこもりに憧れています。

ただ僕のような人は少数派で、一般的に言うと偏見や固定観念から殴られることもあると思います。

 

それでも私はこもりたい。

というわけで自己弁護と、ひきこもりの人口を1人でも多く増やし市民権を得て快適に過ごすために、語っていきます。

 

 

ひきこもりは悪いこと?

善いこと悪いことの定義をしていたらそれだけで哲学書が1冊かけちゃうと思うので、善悪は存在しないものとすると、ひきこもりを悪いと言うことはできなくなります。

……という言葉遊びはおいといて。

 

結論を言うと悪い事ではないです。

というか、ひきこもりという概念に善悪はないです。

 

ひきこもりが「なにをするか」あるいは「なにをしないか」の行動の結果に一般的な善悪が宿ります。

 

ひきこもりがひきこもることで社会に良い影響を与えるならそれは「善い」と言えますし

逆にひきこもりがひきこもることで社会に悪い影響を与えるならそれは「悪い」と言えます。

 

ナイフを持つことに善悪は存在しない。

ナイフで美味しい料理を作って多くの人の舌を喜ばせたならそれは善いことですし

ナイフで人を刺して多くの人を悲しませたらそれは悪いことです。

というのと同じです。

 

 

ただ、社会というのは得てして他者とのリアルなつながりの中でしか結果を生み出すことは難しいので、結果的にひきこもり=他者とのつながりが少ない=悪と判断されやすいです。

ま、これは過去の話、過去の考え方なんですがね。

今はインターネットがあるので、そこにリアルなつながりをいくらでも生み出すことができます。

 

いま子供たちに人気の職業であるYoutuberも実質ひきこもりみたいなもんです。多分。

そしてその仕事が世界に笑顔を与え、夢を与え、お金の流れも生み出す。

つまり結果「善い事」をひきこもりが生み出せているというわけです。

 

なので、「ひきこもりが悪い事」というのはナンセンスですし、結局ひきこもりに限らず「何をするか」が善悪の指標になるのです。

 

ひきこもりのメリット

引きこもりでできる金を稼ぐ手段(便宜上仕事と言います)として思い浮かぶのは

ブロガー(webライター)、トレーダー、Youtuber……ほかにもあるとは思いますが、パット思い浮かぶのはそのくらいです。

んで、それらの仕事って、基本的に作業時間を多く割ければそれだけ成果も出やすいですよね。

まぁこの仕事に限らず、作業時間をかけないと成果につながらないはずです。

 

 

んで、ひきこもらない仕事だと、必ず発生するのが移動時間、移動のための準備時間など、必ず無駄な時間が発生します。

ひきこもっての仕事は、その無駄な時間を限りなく0に近づけることができるので、作業効率が最高です。

よって結果につながりやすいわけです。

 

結局活躍の場がどこかってだけのこと。

ネットが普及する前の世界だと、ひきこもりはただ他者とのつながりを絶った穀潰しでした。

ただ今のひきこもりは、まぁ同じくただのごく潰しもいますが(別にそれも社会性がある他者に害意をもち攻撃する人よりはマシだとは思います)、今の世界はそうじゃないひきこもることでなんらかの社会にメリットをもたらすことが出来るようになっているわけです。

今まで世界の活躍の場が家の外しかなかったわけですが、今は家の中でも社会で活躍できるわけです。

 

たたなんども言いますが、「ひきこもること」が善い事と言っているわけではないですよ。

なんらかの行動を起こすのに効率的な場合ひきもることが善い事につながるということですよ。

 

ま、僕は穀潰すためにひきこもろうとしているので、悪いほうの人類ですけどね!

好きなことをして生きていこう! とは言えねぇ。

ここまでの話だと、最近よくある「好きなことをして生きていこう」との論調ですが、違います。

例えば引きこもるためのインフラがインターネットで整いました、と言ったけど、そのサーバーを管理するのは? ケーブルをメンテナンスするのは? 機械を作るのは?

今それらをやっている人たち全員が「好きな事をする!」とか言ってYoutuberになったら一瞬で世界が滅びるわけじゃないですか。

だから、僕は「好きなことをして生きていこう」とは言いません。

まぁ理想の世界はそれですが、その理想にたどり着くには足りないものが多すぎます。

でも、苦しいことをして生きることも違うと思います。

僕もそうですが(……と、さりげなく言ってますが、きっと読んでいる人もそうだと思いたい)、仕事が苦しいわけです。

んで、その苦しんでいる仕事よりも、ひきこもってできる何らかの仕事を見つけることが出来れば、人生の不幸度が下がるはずです。

使命感も、向上心も、協調性もない僕のような人が不幸にならず、あわよくば幸福に生きる手段は、ひきこもって何かを生み出すしかないわけです。

 

というわけで、ひきこもるための仕事として、ブログを書いたりしています。

現状に文句を言っているだけじゃ、なにも変わらないので、行動するしかないんですね。

ひきこもりも素晴らしいことですが、莫大な資産がありそれを使える立場ではないのであれば、何らかの行動をしなければじわじわと真綿で首を締めるように死んでいくだけですからね。

 

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