前書き
普段書いているゲーム感想まとめ記事の中で、パルワールドを素材に現状のゲームに対する愛憎をじっくりことこと煮込んだ結果、現状ざっくり2万文字。(ゲーム感想まとめ記事は、ざっくり1万文字前後で語れる分だけゲームを語るというルールで作られたまとめなので、超絶オーバーキル)
というわけで、パルワールド単独記事としました。
必要そうなところは補足や修正しつつ、ゲーム感想まとめ記事からほぼコピペしただけなので、語り方もいつも以上にだらりだらりとしていますが、まぁまぁ。(まぁまぁ)
発売2週間でソロで80時間くらいプレイして、パルフルコンまでやった思い出が語る内容のメインになるので、今は状況変わってるかもしれないけど勘弁してね!
パルワールド ☆9
50時間程度プレイした時点での感想 ☆8
とりあえず50時間ぐらいプレイで未クリア。現在レベル45、拠点レベルはマックス程度。
☆9か悩みましたが、いま夢中で遊んでいる気持ちの高ぶりもはいっている感じありまして、一応冷静に-1しました。まぁ、でも、8.5くらいはありそう。(8以上は個人的GOTYに選出されるレベルの傑作なので、「少なくともそれ以上」だと思える作品ということ)
このゲームから伝わってくる、真摯な「ユーザー(プレイヤー)第一主義」という「”商品”作りの姿勢」を加味してやっぱり☆9あるかも。
その「ユーザー第一主義」というのはようするに各ゲームで抱いている不満点。例えばですけど上で書いた(追記:単独記事として分離する前に語っていた)ガーデンズストーリーの不満点である「セーブが遠い」とかそういう「今更さぁ、そんなところで足を引っ張る?」というようなシステム的な問題や、制作者のエゴが強く出ているような(広義での)気持ち悪さ、ユーザー目線ではない調整不足が少ないってことです。
ゲームの評価軸って、ゲームが多様なコンテンツであるからして様々な軸があるわけですが、個人的に強く推したいのは「商品としてゲームを見た」時に、プレイヤーの不快感が少なく味わうべきところを味わえる作品。(主にベセスダRPGがバグまみれでも愛される理由に繋がる)
対極に「ゲームを芸術として見た」時の評価軸(ユーザーではなくクリエイター側の都合やエゴを優先する)があります。そちらは「刺さる」ことがゲーム評価としてプラス要素に影響を与えます。
ただこと「商品」として見た時、「(プレイを前提とした)ゲーム」という商品としての不便さや違和感という部分で大きく足を引っ張ることもありまして、個人的には評価を下げることが多いです。
「それをやりたいなら同人ベースでやるべきだろ」という……これは別に同人を下に見ているとかではなく。同人は良くも悪くも「商品」を作る気がない人(≒作品を作りたい人)が身を置くべきで、商業は商業で良くも悪くも「商品」として優れたものを作りスケールすることが目的の人(≒商品を作りたい人)が身を置くべきという、適材適所の話。
で、その「ゲームという商品(≒ゲームプレイ)」・「芸術」という軸で考えた時、パルワールドは圧倒的な前者なわけですよ。
「ゲームがプレイできる」。
これがゲームという商品に求められる最低限であり、最大の価値なわけです。
これ言い換えると、「期待するストレスがどこか?」って話です。が、いきなり言われてもわかりづらいと思うので、まずは「僕が考えるゲームとは何か」という話をしておきます。
本質的な話をすると、ゲームってストレスなんですよ。プレイヤーにストレスを与えて、それを乗り越えるという娯楽。(例外はあれど、基本のはなし)
んで、その「望む(面白い、期待通りの)ストレス」との向き合う時間が長いほどに、ゲームとして優れている、と僕は考えます。それがつまり「ゲームができる」ということなので。
ゲームジャンルやPVというのは、「ストレスをどこに期待するか」という「ゲーム要素」を元に消費者(ないし広告)がラベリングして、プレイにつなげるための要素です。
繰り返しになりますが、本質的に「どこにストレスがかかるか」の判断材料であるべきなんです。
逆に言うと、「本来かけるべきではないストレスがどれだけ排除してるか」が「商品として優れた・磨かれたものである」という話。
んでんで、パルワールドはその「かけられたいところ以外でのストレスをできる限り排除している」というところが果てしなく偉いところ。
逆に言うと、それゆえに「望まざる部分でのストレス」が多いゲームを僕は叩きがちなんですけどそこを深堀りすると話がそれるのでそれは置いといて。
「お使いゲー」って言葉ありますが、ゲームってそもそもが開発者からのお使いなんですよね。「このゲームをプレイしてね」っていうお使い。
だから、その「お使い(≒ゲーム)」をどれだけ楽しくできるかがゲームの面白さの核なんですけど、パルワールドは「如何にお使いを楽しくするか(プレイヤーへの不要なストレスを除けるか・お使いの報酬を魅力的にするか)」を詰め込み、磨いている。それはオプションの多様さからも分かる通り、「ストレスに感じる所は、調整してね」と多様に選べる。
言ってしまえば新しいゲームメカニクスなんてないです。でも、万事それでOKなんです。
ゲームプレイのマイナスを減らし、プラスを増やす。その愚直な積み重ね。
ゲーム部分のマイナス要素を徹底的に減らして、プリミティブなゲームの面白さを詰め込んでる。
これが本当に「商品としてのゲーム」の価値が磨かれているということです。
極論、別に新しいゲームメカニクスなんて必要ないんですよ。現時点でゲームは世界一面白いコンテンツなので、奇をてらう必要は無い。
変な開発者の「欲(芸術心)」を出さず、ゲームの面白さをダイレクトに味わえるように、制作者の自我でユーザーの「ゲーム」を阻害しないように……その上で「ゲーム」を詰め込み磨いてさえくれれば、ユーザー、少なくともイチユーザーとしての僕は満足なんですよ。
で、その点、パルワールドは見た目で話題を呼ぶのに成功した、正統派「ゲーム」なんですよね。
いや、これは本当に、マーケティングの面とゲーム部分の面、両方で「商品としてのゲーム」で教科書になりうる作品……と詳しく語ると果てしなく長くなるので後述する(かもしれない)として。
「心ゆくまで、辞め時を見失うようにゲームを遊べる」って、当たり前に欲しい要素なんですけど、その当たり前が出来ていないゲームがあまりにも多すぎる。だからパルワールドが輝いて見える。
その上でさらに褒めたいのは、オプションの充実さ。
これ、本当に本当に本当に偉いんですよね。
オプションでのゲーム難度設定変更ができる項目が多いほどにユーザーフレンドリー。
特に、本来的なゲームの面白さ「だろう」ところまで突っ込んでいることにある種の衝撃を受けました。
例えば、捕獲確率。僕はいじっていませんが、これをゆるくできるのは、ある種革命的だとすら感じます。
(ボールのグレードアップの必要性が薄くなるという意味で)「ゲームバランスの崩壊」という恐怖がありますし、それに伴って本来のオープンワールドにおけるフィールドデザイン(多分当てはまる専門用語があると思いますがわからなかったのでこう言いましたが、「どこにどういったゲーム内報酬があるか」とその誘導のことを指します)ではやりたくないことだと思うんですよ。
でもそれは「商品」としては正しい。「遊びが薄くなる」という自由度すらも許容すること(つまりそれは自分で難度を易化しておいて「スカスカゲー」とかいうカスみたいなレビューが増えるということ)が、本当の意味でのプレイヤーにとっての自由であり、「商品」として受け取るときの価値観(プレイスタイル)の多様性を認めるということでもあります。
そんなゲーム作りの姿勢が、本当に素晴らしい。
だって、繰り返しになりますけどパルモンゲットっておつかい、作業です。最初は感動があっても、最終的には作業になる部分なんですよ。
序盤はそこに一喜一憂する面白さがあります。
ポケモンだって「ポッポを手に入れた!」「コラッタを手に入れた!」って、最初は楽しいじゃないですか。
「ポケモン」というくくりではなく、「ポッポ」という個体を入手した喜びがあります。
でもそれは数を重ねて「ポケモンゲット」というくくりになってしまうと、作業なんですよ。
初代でいうとハナダくらいまで行ったら、流石に「草むらから新しいポケモンが出た!」とかよりは「草むらはポケモンが出てくるから出来たら入りたくない」みたいになってきませんか。(もちろん個人差があると思いますが、ゲームクリアまでポケモンのランダムエンカウントにワクワクし続けた人は少ないんじゃないでしょうか)
つまり、ポケモンとの出逢いを本当に楽しめる「固有のイベント」として処理できるのは、基本的には序盤まで。それ以降はむしろ嫌な作業になってしまうんですよね。(もちろんそういった意味で、どうくつでいきなり出てくるダグトリオ、つりざおアップグレードでの入手の広がり、カビゴンや伝説などの固有ポケモン、サファリパークでの新たなゲット手段、「なみのり」で海に行くなどの背景的な変化、そしてボールのグレード変化と飽きずに楽しめる工夫を凝らされているのがポケモンの素晴らしいところではあることは強調しておきます)
ただ、パルワールドに関しては、どういうプレイヤーでも楽しめる(少なくとも不要なストレスを排除できる)仕組みになっている。
本来的な楽しさでいうと、「ボール素材入手の効率化→ゲットの効率化」のループ、そして「ゲット総数を増やすことでのプレイヤーステータスアップ」というメリットを付与してプレイ価値を増している。つまり「ゲット自体を効率化する」という遊びが本来的な面白さであり、ポケモンで言う「やせい」との出会いも、少なくとも10体確保まではゲーム的に価値のある行動であり作業に楽しさを付与しています。
さらにそれをプレイヤーに押し付けることなく、「そういうのが面倒な人はゲット率を上げてね」という自由な遊びかたを提供しているんですよ。
繰り返しになりますが、もちろんそこはある種ゲーム性とのトレードオフではあります。が、そこを「選択できる」というのが、商品として優れている最たる証拠です。
激辛カレー専門店に行って、ゼロ辛(からくない)を注文することを許容することこそが、万人に受け入れられる「その店」というひとつの商品価値なんですよね。
もちろん辛いのが苦手な人に迎合して、辛味全てをマイルドにするのはよくないんですよ。
そして辛味が苦手ない人を突っぱねて、激辛で走るのも(ある種のブランディング的価値はあるけど、それは最初に語った「店主のこだわり=芸術」であり)食事としての「カレー」という商品としては、美味しく食べられない人もいる。
だからこそ、「選べる」ことがお店として大事なんですよ。
そして「ゲーム」としても「選べる」ことが多様な遊び方を許容すると等しく、真なる「自由度」があるということです。
捻くれ者の僕の反論としては「難易度に選択肢があるということは、万人が楽しめるレベルデザインがなされておらず不完全なゲームである」という反論も思い浮かびますが、露悪的で捻くれ者のもう一人の僕の反論としては「とは言え完璧なゲームが作れるというのも驕り以外の何者でもないんだから、黙って難度(快適度)の調整機能をつけたほうが『受け』も結果的に『遊び』も広がる」という反論もありまして。
今回パルワールドは、ゲームの規模やプレイ時間的にも、前者は不可能だから後者を選んだのは正しいという気持ちです。
そして今後こういうゲームが増え続けてほしいの気持ち。例えば僕は「JRPG(スクエニ)黄金世代」的な文脈で語られる時代のJRPGが基本的に嫌いなんですけど、例えば移動速度と戦闘速度3倍、エンカウント率10%、経験値取得率20倍、どこでもセーブ&ロード化……みたいな設定が出来たらわりとそれだけで評価がグイッと上がる説すらあります。
そのくらい「ユーザー好みの設定にできる」というのはゲームの評価に大幅に良い作用を及ぼすという話です。(初代あたりのポケモンをやり込んでいたことと「ドードリオGB」の偉大さを噛み締めつつ)
ちなみにめちゃ余談ですが、ゲームメカニクスがポケモンと似てるという意見は百歩譲ってわかりますが、パルがポケモンと見た目が似てると叩いている人、ポケモンを甘く見すぎ。どこが似てるんだよ。ポケモンのデザインに宿る、現実をデフォルメした美しさをしらないんですかね。(昨今のポケモンはしらんけど)
ポケモンがポケモンになった理由(現実を元にした)と、パルがパルになった(ポケモンをメインとした各種RPG=ファンタジーを元にした)では意味が全く変わってくる。
まぁネットなんてそんなもんで、僕含めてですがなんとなく知ってるつもりになってる知識偏重馬鹿がさも自分は知識人ですよみたいなしたり顔でまったく筋違いな反論をしてマウンティングして気持ちよくなるだけの装置なので(あまりにも露悪が過ぎる)。
逆にパルワールドは(ポケモンしかりですが)、ポケモンの機能的な面を注視しつつ、ポケモンにそこまで精通していなくとも(ファンタジー文脈としての)目的どおりのデザインがなされていて、「こいつはどんな行動をとる」がすぐに理解できるのは非常に偉い。
話が逸れにそれましたが、ゲーム部分の話をします。
と言っても冒頭に書いた通り、「ゲームができる」。これがこのゲームの素晴らしいところ。
ゲームなんだからゲームができるのが当たり前? 開始2時間近く映画を見せられるデスストくんを火炙りにしてもろて……。まぁそれはおいといて、昨今のある程度の大作ゲームでオープニングムービーが20秒程度という時点でかなりの信頼感があります。
そう、「自分の意志で結果をコントロールしている時間」が僕にとっての「ゲームプレイの時間」なんですけど、言うまでもなくムービーや、ムービーと言わずとも考えることの無い時間が多いゲームは「非ゲームプレイの時間が多いゲーム」なんですよね。
セーブが多い。死亡後のリスポーンも快適。常に実質クエスト(やること)の提示。移動手段の豊富さ(と同時に適度なマップの狭さ)。目につきやすいボスという目標。
これらが揃っていて、良いゲームにならない訳がない(悪いゲームになるわけがない)。
んで、プレイしたらわかる「パクリ」で終わらせる見識の狭いユーザーでは絶対に理解できない、あるいは商品としてのゲームの意識の無い開発者には絶対に作れない輝きがあるんですよね。
っていうか、少し話がそれますけど、「パクリ」ってそもそも論「低評価」の理由にならないんですよ。
「パクリの何が悪いか」が問題。「パクッた上でパクリ元よりもつまらないゲーム」ならば叩くのもわかる。
パクリが一般的に良くないことなのもわかるけど、ただそれはゲームの評価とは関係ないよねって話。「パクリだから」と「ゲームが良い・悪い」は全くつながっていない。
ゲーマーとして「ゲームが悪い」から叩くのではなく、正義の断罪者として「パクリ」をした罪人に石を投げたいだけだろって話。
ゲーマーが叩くなら「ゲームのどこが悪いか」を書け。と、思ってます。
話がそれました。
以下ちょっと細かくなりますが、他にも素晴らしかったところを語ります。
やることの時間単位も素晴らしいんですよね。
ボス戦一つとっても3分くらい、長くても10分というところ(というかそこで区切られているから、それ以上続けられない)。
モンハンは過去の記憶ですが、50分近く延々殴って倒せなかった! みたいなのありますから。馬鹿でしょ。
んでそれを「プレイヤーが判断できる」とい う素晴らしさにも触れておきます。
ダメージと体力ゲージの表示は本当に偉いんですよ。いや、いつも思うことなんだけど、体力ゲージのないすべての戦略ゲームはもう全部運ゲーなんですよね。(極論)
だって戦略が立てられないから。リソース管理の判断が出来ず、全て運ゲーになるんですよ。
例えばドラクエって敵のHPがわからないわけですが、「倒せるか倒せないかわからない」「引くべきかどうかわからない」から、結果的に「(実質)たたかう連打」以外にやることがない。
勝てるかどうかが「レベル(ステータス)が足りてるかどうか」を試す運ゲーでしかないんですよね。
これがわかりやすい例なので上げたのですが、翻ってモンハンもしかりです。「殴り続ける」だけ。もちろんアクションゲームなのでそれでいいんですけど、結果が運になってしまうんですよね。
一応足を引きずったかどうかという「もう少しで倒せる」という目安があるぶんドラクエよりはマシですけど、それでも「足を引きずったら残り体力何%」という基準が明示されていないので、結局運ゲーです。
で、かなり話が逸れた気がしますが、リソース管理要素のあるゲームにおいて、「体力表示」はその運ゲーを避けて戦略と適切なゲームプレイを提供する機能と言えます。
例えば殴って敵の体力バーが1ミリしか減らなければ、「今の自分には適切な敵ではない」とわかる。
ダクソのチュートリアルダンジョンで素手状態でデーモンを殴り倒す判断をしないのは、体力バーがあるからです。
僕は元々ダクソに「死にゲー」というウワサを聞いていたので(しかも敵の攻撃自体は当たれば痛いけど、当たらなくすることも難しくない)、体力バーがなければ下手すりゃ延々と殴り続けていたと思います。でも体力バーがあるから「流石にこんなクソ作業を繰り返すのはおかしいな」という判断に至りやすくなるわけです。(まぁそれはそれとしてより良くできる気もしますが、ダクソ記事ではないので置いといて)
んで、体力バーがあるからこそ、時間を基準とした戦闘・リソースコントロールが可能になるという話です。
そういう意味で、初代ポケモンの体力バー初期搭載の仕組みはコマンド式RPGにおいて革命的(と言ってもRPGにわかなので、それより前に搭載したゲームがあるかもですが)だと思っていまして、そこから地続きにパルワールドの体力バーの仕組みによって「殴るべきかどうすべきか」というかけひきの楽しさを延々と味わえるし、ただの運ゲーにならないという話です。
なんか一生語れちゃいそうですが、とりあえずある程度「ちゃんと遊んだ」といえる全パルゲットを目指して再びプレイしてきます。
75時間くらいでパル全種ゲット。
「パル全種ゲット」を目指してプレイした60時間くらいから15時間くらいはかなり作業感やバグの悪影響強く嫌気がさしていましたが、それでもそこで投げず最後までやろうと思える程度の負荷ではありました。
良ゲーでした。いや、本当に。めちゃくちゃ良ゲー。どうしてもアーリーアクセスゆえの様々な問題があり神ゲーとは言いづらいけど、磨き方さえ間違えなければ☆9以上は普通にある。そういうレベル。
というか、いっそ、「未来のゲームへの希望」という言葉すら思いうかびます。
何が言いたいかと言うと、まず世の中のゲームに抱えた閉塞感がありまして。悪く言うなら「大企業のゲームの行き詰まり」を感じておりまして、それをあらゆる意味で打破する可能性を感じるという意味で「未来のゲームへの希望」です。
なぜそう思ったかというと、あらゆる意味で大企業ではやりづらいゲームづくりをした結果生み出された「ゲームとしての素晴らしさ」と、アーリーアクセス制度における運営の改善速度を体感したから。
「あらゆる意味で大企業ではやりづらいゲーム作り」に関しては皆さんの大体想像通りだと思うので今更語りません。しかしそれは、真にユーザーが望んでいる「『こうなってほしかった』というカタチの、ポケモンの神アップデート」ほかならないものです。
と言いつつその言葉に含まれる想像しづらいだろう部分に少しだけ触れておきますが、「大きく、凄くて、売れるゲーム」しか大企業って作れないんですよね(採算的な意味で)。
こういうあらゆる意味で身動きの軽いゲームを作れない。って話です。とりあえず大企業ではやりづらいゲームの話終わり。
残りを詳しく語ります。
アーリーアクセスはそれ自体に良し悪しというか、短所と長所があるんですけど、「良いゲームを作るのであれば、全てアーリーアクセスであるべき」というのは最近常々思っていて。
いや、逆に(広義の)アーリーアクセスでなければいいゲームになるわけがないと言いますか。
以前書いたんですが……
DLCセットの「完全版」を売るのではなく、通常版を「不完全版」として売れよ、と思っています。
という文句を、現行の殆どのゲームに対して思っているんですよね。
これは「アーリーアクセスで売れ」を意地悪く書いた + 不完全なゲームへの嫌味で書いたんですが、かなり強烈に「大半の企業が作る新作ゲーム」への文句として心に抱えています。
んでもこれ、(先に強めに断っておくと「仕方ないからユーザーとして許す」という話ではない……という上で)ちゃんとした企業だと仕方ないんですよね。
アーリーアクセスは端的に言うなら、ユーザーを有料テスターとして使うなわけで、まともな企業はそんな未完成品(テストしてないジェットコースターに乗らせると考えるとヤバさが解りますよね)を世に出せない。
それに売れるかどうかもわからないものに投資は出来ない。売れたもののリソースを使いまわして利益を取れるなら、新規でゲームを作るよりも圧倒的にラクでコスパが良い。つまりナンバリングや広義のリメイク。そしてDLC。土台であるゲームは完成していて評判も高いから、ハズれない。(いやまぁそれすら「ヘンテコリメイク」で壊されることがあるんだけど、壊されたところで過去の思い出として買った「現状非ゲーマー」が騙し討ちに合うだけで、悪影響は少ない)
さらに「売れた」という実績を持って、売上を加速させることができる。
だから「完全版」なんてものが出てくる。
「アーリーアクセス」もとい「不完全版」としては売れないから、不完全版を「通常版」として売って、「ようやく普通に遊べる」ものを「完全版」として販売する。
でもこれって、(特に企業がつくる)ゲームという娯楽の特性である「ボリューミーなもの」である商品の性質とプレイヤーの事情を勘案すると、ありえないほど相性が悪いと言いますか。
ボリュームが多いから、普通に遊べるようになった「完全版」を不完全版で遊んだ部分も含めてリプレイするのは普通にダルいですよね。
でも、上述の通り「あの人気タイトルが完全版で登場!」は未プレイ(未開拓のユーザー)へめちゃくちゃ強力な訴求になりますし、既プレイは魅力を解っているから買う可能性が高いし、作る側としても完全新作を作るよりも開発コストをある程度狙いを絞って投資できる。
でもこれって、本当にユーザーのことを考えるなら「安価なアーリーアクセス」と「フィードバックからの改善(ついでに徐々に値上げ)」でやるべきことなんですよ。いや、っていうか、繰り返しになりますけど、「不完全版」を押し付けてるんだから、そちらのほうが普通に考えたら妥当なんですよ。
理想論ですけど、我々は理想通りのゲームを最初から100%遊びたいだけなので。
我儘に見えますが、世界に存在する他の商品同様、最初から100%の完成度を求めて買うことは至って普通だと思うんだよねぇ。
「新商品!」のコンビニ飯を買う時に期待するのは「鉄板商品と同じかそれを上回る美味しさ」だろ。「新商品だから不味くても仕方ない」って買う人、そんな居なくないですかね。
んで、「アーリーアクセス」という仕組みは、その「理想通りのゲーム」に近づくための土台なんですよね。最初から「未完成ですよ」という免罪符があるから、そこからガンガン改善できるし、改善「しなければならない」ゲームだから。
でも、「普通の企業」だと思われるために不完全な「通常版」を出してしまったら、そこから大きく改善することはできない。だってアーリーアクセスじゃなくて通常版だから。そして「アーリーアクセス」はまともな企業は出せないから。
なにより企業として利益を生み出すことを考えると、そんな金にならない改善は上司に殴られて終わり。面倒なゲーマーに難癖つけられるという些細なデメリットを消すための開発と、さらなる売上が望める開発であれば、後者を取らない理由がない。
だから「完全版」を出す。企業にとってのメリットが大きいから。
理屈はわかる。
でも、それって、ユーザーには関係ないですよね。しかも、正直いよいよ最近「それってよくないよね」みたいな空気が一般にも醸造されつつある。
これが冒頭に書いた「大企業のゲームの行き詰まり」です。
開発費が膨大になっていて失敗が許されないから無難なゲームしか出ない(理想を追う余裕が無い)し、大企業としてある程度品質が担保された(体の)ものを出さなければならないし、売れたものに手を加えるというのは無駄コストだから、せっかく手を加えるならちょっとおまけ要素追加した完全版商法がベストの択になる。
でもそれってユーザー(ゲーマー)が求めているものとひとつも一致しない。
無難なゲームなんかワクワクしないし、大きな改善が期待できない仕組みのゲームを(昨今のインディーを主体としたアーリーアクセスから磨かれる潮流を体験してしまうと)買う気にもならないし、よしんば改善されるとしても「完全版」とかいう通常版を買った人を小馬鹿にするような売り方かつ求めても居ないボリュームを押し付けるってことなんですよ。
そして、未来のゲームの希望とはまさにその真逆。
開発フットワークがある程度軽く未完成だからこそプレイヤーにとって良いものになるように舵を切りやすいし、開発とユーザーの距離が近く基本的に大きな企業ほどの規模の開発ではない(それも含めて広義で意思決定が迅速)から改善速度が早いし、「アーリーアクセス」という免罪符を持っていてそれに納得して購入する選択権があるし、ユーザーとしては「ゲームの完成形」まで待つことも出来るし(完全版を買わなくても良いからその浮いたお金と時間で)別のゲームに着手することも出来る。
企業ではほぼ実現不可能かつユーザーが楽しいゲームをプレイするための土台が揃っている。
一番重要なのは「面白く磨く余裕がある」という部分。
当然なんですが、あらゆる「不完全版」は机上の空論(フィードバック無し)での「面白さ」がコンテンツであり、「アーリーアクセス」すなわちユーザーのフィードバックを得て磨かれた商品は、そうでないものに比べると良くなるに決まっています。
なんかたまに開発者側に寄り添って上述の不完全版のロジックを持って「こういう仕方ない事情があるから、企業がまた新しい作品を作れるように買い支えよう!」という「お客様からの買い支え指示」を見かけますが、それで売れず潰れるなら潰れたほうがよくないですか? としか僕は思いません。(シリーズとかならちょっと話は別だけど、「メーカー応援」は違うよねってはなし)
放っておいてもゲームなんか無限に湧きますから。むしろしょうもないゲームが「買い支え」で市場にヘドロのようにへばりついているほうが不健全だろうが。
もちろん、「ひとりのファン」が「買い支えしよう」とする気持ちはわかります。その気持ちを否定する気もないです。
でもやってることは、例えるなら雨がしばらく振る予定もない灼熱の砂漠で、枯れかけの木におちょこで一杯水をやるようなものなんです。
それって本当に「(自分がやりたい)『ゲーム業界への買い支え』と合致していますか」って話で。砂漠でもなんとか独立して咲きうる種に水をサポートするのが「買い支え」じゃないんですか。
ゲーム市場の流動性、新規の獲得という未来を考えるなら、その水は別な育ちそうな木に上げたほうが良い。僕はそう思います。
もちろんシンプルに「一つの商品」として考えたときも、まずいラーメン食わされて「店主の時間と資金が足りず、テキトーに作って売るしかなかったんです>< 買い支えて♡」と言い訳されても「ざけんな潰れちめぇゴミ食わせやがって」としか思わないだろうことと一緒です。
同じ「商品」という土俵のものなのに、なぜかゲームという商品になるとそういう意味不明な「開発の味方」が湧き始めるんですよね。
若干話はそれましたが、「アーリーアクセス」とは、インディーだから許される「未完成品」をお客さんをテスターとして使う暴挙でありつつ、それこそが「真に面白いゲーム」を磨くための必須事項であるという話です。そしてそれは「面白いゲームが遊べるかも」という希望です。
もちろん格ゲーのように一部のゲームはアプデで磨き続けるってのはありますけど、それを格ゲーとかではないゲームでもやるべきっていう話で(でもだからそれにメリットがないから普通の企業では出来ないという話)、パルワールドはそういう意味で現状対戦要素も実装されていないしそれをメインコンテンツにして発展するわけでもなさそうなのに磨く意志が見える、ユーザー思いの素晴らしいゲームだと感じた、という話です。
(僕がSlay the Spireを今世紀最高のゲームだと思っている理由にもつながる)
ユーザーのために作られたモノ
「ユーザー思い」についてもう少し語っておきます。
「ゲームの『面白そう』さ」について。
先に悪く言っとくとPV詐欺的な面で文句を言うことも出来ますが、この「純然たるユーザー思いのゲーム」を遊ぶきっかけになったということを考慮すれば些末な問題。
ゲームって商品なので、面白いかどうかって初動(ないし初見のユーザーの購入意欲)にはほとんど関係ないんですよね。
どうマーケティングするかって、実はゲームで一番と言っていいほど大事なことで。(念の為繰り返して起きますけど面白さが関係ないのは「初動」ね)
ちょっと前に「広告費を開発費に回すべきか」的な論争がありましたが、じゃあそれを言う人が「開発費1億、広告費0円のゲーム」が販売されていたとしてそれを見つけられるかって話で。
積みゲー勢の僕はゲームのプレイ時間よりゲーム情報の収集のほうが時間が長いわけでして、「おもしろそー♡」と思ったらウィッシュリストなりライブラリなりに入っていくわけですよ。
そんな僕でも、面白いとどこかで話題になったのを見かけて「えっ、このタイトル知らなかった」というゲームと出会うことはそこそこあるんですよね。
いやまぁもちろんこれは極論であり、無難に着地するのであれば「バランスが大事だよね」っていう一般論に終始するわけではありますが、あえて極論するのならば「見つけられる」というのも「ユーザーがゲームをプレイするための、『ゲーム探し』というゲーム」において優位に立つための開発費とも考えられるわけでして。
そういう意味で、如何に「プレイヤーに面白そう」と思わせるか(プレイヤーの立場から言うのであれば、「ゲームが面白そう」と思う)ってのこそがゲームの第一歩なんですよ。
そしてその「面白そう」と思わせられる広告を作れるゲーム開発というのは、ユーザー(ゲーマー)の心理を理解しているといえます。
ゲーマーの心理を理解しているのだから「面白いゲームを作る」という気概(とリソース)さえあれば……「広告での売り逃げ」を目的としていないのであれば、「知られるために必要な広告を出すこと」はむしろそれも神ゲー要素の一つです。
「おもしろそう」こそ「面白い」と感じうるゲームの第一歩なんですよ。「世界で一番面白い」ゲームでも、「おもしろそう」がなければ手に取らない。(それが成り立つのは「口コミ」なんですけど、「口コミ」こそ育つのに時間がかかるわけで、初動の話とは程遠い)
あの、これ、パルワールドをageるために、広告嫌いな僕としてはかなりダブスタ的な論調になるとは思いますけど、面白いゲームを触ってもらうため、遊んでもらうための努力と考えたら、これほどユーザーに向き合ったゲームってないと思うんですよね。
ラーメンハゲ(ラーメン才遊記)も言ってるんですよ。
いいものなら売れるなどというナイーヴな考え方は捨てろ
ラーメン才遊記 88話6ページ
と。
どれだけ良いものでも、知られる(=売上につなげる)努力をしなければ、決して売れる(=遊ばれる)ことはない。
「パクリ」や「モラルがない」と騒がれるような下卑たマーケティングの良し悪しは各々判断するとして、でも本質的にそれって「遊んでもらうための努力」じゃないですか。
もちろんその結果「つまらないもの」を提供されたら、僕もキレてますよ。つまらないものをマーケティングの巧拙で「良いゲーム」と断じられるほど商品としてのゲームとプレイの楽しさを切り分け出来ては居ない。
でも、「面白い」んですよ。ゲームとしての骨子が原始的でありつつも前向きにプレイし続けられる隠されたレールがある。ゲームデザインであったりレベルデザインと言うような、「面白くなるための仕組み」がちゃんとある。
PV詐欺は「PVの想像を超えられなかった」ことが叩く理由であり、PVから想像される面白さを超えた熱中要素があれば問題ないと思うんですよね。
例えばですけど、リンゴのロゴが入ったパソコンを買おうとして、そのリンゴが欠けていた! となっても、パソコンの性能が想像よりも良ければ問題ないじゃないですか。(もちろんリンゴが目的の人は文句を言うでしょうが、目的の主は「パソコン」なわけで、そこで想像を上回ってくれればよくない?)
何よりありとあらゆるゲームは、大なり小なりPVによる誇張が含まれるわけで、「パルワールド憎し」で普通に行われていることすら叩き始めるのは公平ではないし、それはいじめ的な構図であり全く美しくもない。
「モラルを守って、全方位にそつなく見せられる、綺麗だけどつまらないゲーム」と「モラルを完璧に守っているわけではないし怪しいところもあるけど、面白いゲーム」、ユーザーが望むのはどっちなのか。「自分が一人のゲーマーとして遊びたいのはどっちなのか」って話。
若干話がそれました。
「PVの想像を超えた」……言い方を変えるのであればパルワールドはあの事前映像やパクリを極めたような見た目から、プレイフィールは「無骨で愚直なゲーム」なんですよ。良くも悪くも。
繰り返しになるけど、奇抜なところはなく、基本的にはシンプルで磨かれたオープンワールドサバイバルクラフト。
プレイした方は分かる通り、「過去の同ジャンルのゲーム」で改善してほしいところはある程度改善されてはいます。
でもそれって、めちゃくちゃ地味な変更点でして。プレイヤーにとって嬉しい改善を重ねても、それは言ってしまえば小手先の変更で、ゲームそのものが大きく変わるものではない。アイデア一発勝負の磨かれていない体験を提供しているゲームとは真逆です。
プレイ体験が本当に素晴らしいものでも、地味だったら「またこのタイプのゲームね」で終了。
プレイ体験が磨かれたゲームでも、見た目が普通だったら、誰にも目につかない。
目につかないゲームはプレイできないわけで、プレイできないゲームは少なくともプレイヤー(ユーザー)にとって価値はありません。
だから、多くの人が目を引くデザインにした。
多くの人に手に取ってもらうための「手段」として、馴染みのあるデザインを引っ張り出した。
これを好意的に取るのであれば、プレイしてもらうための努力を惜しまない、プレイヤー目線でのゲーム開発だと言えます。
そしてその目線を持てるから、ゲームそのものも面白くなる。広告と開発、両輪で爆進してるんですよね。
……残念だけど、今や「普通のゲーム」は遊ばれないんですよ。
もちろんネームバリューで「遊ばれてしまう」ゲームはあるかもしれないけど、そういうものがほとんど存在しない会社の場合(それはこのゲームがたとえば「クラフトピア2」とかそういう名前で発売されなかったことからもわかるとおり)、「じゃあどこで(何で)売るか」。もとい「どうやってプレイしてもらうか」に踏み込まなければ、誰の目にもつかない。
そして、多くの人の目を引くデザインにしたからこそ、アクセスがほしいYou(V)tuberに発売前の先行プレイ権を渡し、見事プレイしてもらい話題になって、超絶バズゲームとなった。
あの、これは本当に「外見は内面の一番外側」というような話にも繋がってきまして。
これはもちろんYoutuberのアクセスという話にもつながるわけですが、根本として「プレイヤー」としてのゲーマーにも言えることなんですけど……結局見た目が面白くなさそうなゲームって、プレイする欲求すら沸き起こらないじゃないですか。普通は。
「ゲームはグラ」とか、そういう話をしたいんじゃなく、「商品として手に取る前段階」の話。
目に入った瞬間のワクワク感も「ゲーム」だと思うんですよね。
そういう意味で、パルワールドはそこも優れた「ゲーム」である、と思うわけです。
んでこれは究極、「売れるからいいや」で放置されていたポケモンというゲームのブレイクスルーだとも思えます。
「パクリ」と言われるような見た目も、ポケモンの並行作とユーザーとしては捉えることができますし、その上で1000年前に終わったJRPG神話の地続きとして多数派みたいな顔してたコマンドバトルのメカニクスをより万人受けするオープンワールドサバイバル的なメカニクスと組み合わせアップデート。
「『こうなってほしかった』というカタチの、ポケモンの神アップデート」と記事中で書いたところがあるのですが、これは、そういうことです。(対人部分は別として、あくまでストーリーモード的な部分における「ゲームメカニクス」に着目した場合)
不自由を感じないチュートリアル(レベルデザイン)
「ユーザーのためにつくられたモノ」の見出しはかなり概念的な話でしたが、その中で具体を一つ上げてパルワールドを褒めるとしたら「不自由を感じないチュートリアル」です。
レベルデザインという言い方は若干揺れのある概念なのであまり使いたくありませんが、多分それが近い。
もしくは言い方を変えるなら「広義のチュートリアル」と言ったほうがいいかも。
つまり、あらゆる意味で「何をやればいいのか、自然と理解できる」という話です。
僕が一定時間以上真面目にプレイしたオープンワールドサバイバルクラフトというジャンルのゲームって、トータルマイナーというドドドドドドドドドマイナーなマイクラのパクリゲーと、ちょっとジャンルが違うかもしれないTerrariaくらいなもんです。
両方ともプレイしたのは10年以上前ですかね。あ、ドラクエビルダーズ2も去年遊んだか。
それからパルワールドを遊ぶ今日まで、Rust、7 days to die、No Man’s Sky、RAFT、ARC、SUBNAUTICA、Valheim……などなど、名だたる同ジャンルのゲームをスルー・積んできました。余談ですがポケモンシリーズもですが。
で、そうなると起きがちなのは「このゲームなにしたらいいの?」というあらゆる意味でのプレイへの疑問が浮かび続け、「なんかよくわからんからもういいわ」とゲームプレイを止めてしまう現象。
「最近のゲームは親切になった」論があり、親切になったのは確かなんですけど、それは「マニュアルが充実したり、チュートリアルが搭載されるようになった」という程度の意味で、それと「ゲームそのものが親切に(丁寧なレベルデザインがなされるように)なったか」とは全く別な話だと思うんですよね。
特にこういうジャンルのゲームはマイクラを始祖としたオープンワールドであることが前提なので、「さ、場を用意したから好きにしてね」となりがち。
そういうゲームだと「ふーん、で、何をモチベーションにゲームをするべき?」みたいな。
「目的を探す」という体験もまた一つの楽しみ方かと思いますが、その「自由」が果たしてゲームに良く作用するかは、熟慮に熟慮を重ねないと失敗に終わりがち。
ここらへん「自由度」という話につながるのであまり掘り下げすぎないようにしたいところですが(またその話題だけで記事が2~3本生まれてしまう)、「自由」であることと「自由度」を感じることってまったく別な話で。
そして「自由度」を感じさせるには、開発の手腕が問われるんですよね。
つまり、それが冒頭に書いた「広義のチュートリアル」に繋がります。
ある程度導線となるミッション的なものがある、というのが非常に偉い。これはある意味一本道的なJRPGの良いところを受け継いでいるように思います。
「とりあえずこれをやってね」は「このゲームはこれができるよ」というゲームプレイの紹介でありまして。
そこで、パルワールドのメインコンテンツである「探索」「パルゲット」「クラフト含む拠点拡張」「戦闘(ボスバトル)」が埋め込まれていて、その目的の解決手段に「自由度」を感じられる仕組みとなっています。
「不自由を感じないチュートリアル」とはそういう意味で、どれだけ丁寧に「操作方法」を解説しても「で?」で終わってしまうとそれはユーザーのためになっていない。
「そういうことができるんだね、それを活用して色々やっていけるんだね。それならやっていこう」まで「思わせて」、初めて「不自由を感じないチュートリアル」なんですよ。
やることの定義はともすれば「窮屈」に感じるところではありますが、パルワールドは上手くやってくれた印象があります。
クエスト目標が多すぎず少なすぎず、(逆に珍しい気がするランダム生成でないワールドで)バランス良く学習できるように目標オブジェクトが配置されている。
こういう「見た目が奇抜 or ワンアイデアで勝負……みたいなゲーム」が腐る程世に排出されている中で、愚直なまでに「正統派なゲーム体験」を提供してくれるという感動を生んだのは「不自由を感じないチュートリアルから」であると感じた、という話です。
言うまでもないですがハードルが高いゲームと低いゲーム、最終的に同じ体験を提供してくれるならばハードルが低いほうが多数に遊ばれますし、それは優れたゲームの条件の一つとも言えます。
本質的に美しく作られたアクションRPG
結局ウダウダと書き連ねてしまいましたが、まとめます。
不完全な部分はあるものの、原始的な面白さと遊びやすさがつめこまれた素晴らしいアクションRPG。
これがパルワールドへの総評です。
まぁこの見出し文も非常に抽象的ですので、具体に踏み込んで……
と書くと、すでに1万文字は余裕でオーバーしているのでやめておきます。
ただ、ユーザーが求めているのは「シンプルで良いゲーム」。
しかしそれを言うのは簡単ですが、上述した程度の内容を「少なくとも」詰め込まないと、「そう思われない」という話をしたかったのです。
そして、「そう思われる」程度に作り込んだパルワールドというゲームに、僕は「ゲーム(アクションRPG)」という存在そのものとしての機能美を感じますし、まさにその真なる「ゲーム」を遊べた(作れた企業がある)ことに「ゲーム」という存在そのものへの希望を感ました。
総合的に、「☆9」十分あるな、のデキでした。
まとめなどなど
というわけで、以上、別記事にまとめていたパルワールドの話でした。
最近たまに考えているテーマ「作品・商品としてのゲーム」に強く関連して書けそうなゲームだったので、非常に長くなってしまいました。
もちろんそういう意味で「興味深い」ゲームである以前に、文中にも書きましたが「ゲームとして面白い」というゲームにとって最も重要なことを満たしてくれる作品でもあったというのはあります。
これで積んでたポケモンとティアキンとARKとついでに各種JRPGを消化したことに……えっだめ? そんなぁ。
もちろん、欠点の無いゲームかと言われると全くそんなことはありません。
特に気になったのはほとんどノーヒントに近い配合限定モンスターと終盤の作業感、一部素材の要求量(とそれに伴う面倒)。
でもこれら問題は骨子となるゲームデザインが頑強なので、かなり些末な問題です。オプションを変えることで大幅に軽減されますし、最終的な「作業」の中で、手間が少し増える程度のお話。(そしてなにより、ポケモンと違い「パルを全部集めよう」が趣旨のゲームではなく、あくまでやりこみコンテンツなわけで、ダイレクトにゲームの評価を落とすほどではない)
バグまみれで不親切なスカイリムが多くの人に受け入れられたような、「とは言えゲーム部分面白いから全然いいよね」の範囲。(しかもベセスダと違い、ユーザー目線でのアプデの着手速度がとんでもない!)(これをmodという外付け文化に頼ってるの、今考えても頭おかしくて笑いますね。でも面白いから許しちゃう)
あとがき
と、いうわけで若干の加筆修正を加えつつ、1月後半に触り始めて、ガーッとゲームに対する熱い思いを込めた「パルワールドが素晴らしい」という感想でした。
3月頃に書き始めた記事ですが、公開が何故か7月になってしまいました。なんで?
ただ、4ヶ月近く経過したんですが、ゲーム業界全体に対して思っている色々な(主に悪い意味の)思いと、「パルワールドがそこをぶん殴ってくれた」という痛快さ、語る価値の高さは日に日に増すばかりでした。
それはそれとして。
ふと冷静に考えてみると、「ゲームパスで遊べた」は割とデカい褒める要因になってる気がしています。
「入口の期待値を下げる」は割とゲームの評価に影響しますし、その期待値を下げる一番簡単な方法は「値段を下げる」ということ。
ゲーム内要素が全く同じ☆5のゲームでも、「やすいのに」という悪い先入観を裏切れば☆6になりえますし、「たかかったのに」という良い先入観を裏切られれば☆4になりえます。(もちろん☆をつけるときは「やすいから☆を追加」というような順序ではなく、「面白さ」を念頭において、付加価値として「そしてこのお値段!」で盛り上がるか盛り下がるかという感じ)
そういう意味で、もともと定価で買っても☆8以上は確定評価だったんですが、その「やすい値段で遊べた」という後押しもあって☆9になった感は否めません。
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などとごちゃごちゃ言ってますが、結局ゲームなんか「楽しめたか・楽しめなかったか」だけが究極的な評価ポイントで、僕はこのゲームを「楽しめた」わけです。
純粋に「ゲームプレイを楽しめた」といえるゲームって数十本に1本レベルなんですよね。
好きなだけ遊んで「あー面白かった!」で終われるゲームって、日本のメーカーだとマジで貴重です。もちろんそれには良し悪しはあると思いますし、多分日本人ゲーマーの感性に合わないからこそ生まれていないんだと思うんですけど。
こういう遊び方、僕の場合筆頭タイトルはFalloutなんですよ。
エンディングまでやらずとも、ただ眼の前の面白そうなことをやっていれば面白いし、それ以上のことをする必要もない。
んで、パルワールドってそういう楽しみ方ができる稀有なソフトだと思うわけです。
「ストーリーが薄い」とか「コンテンツが足りない」とか批判的レビューも見かけますが、「そこがいい」し「足りなくなったなら(足りないと感じるようになったのなら)やめればいいだけ」の気持ち。僕は「ボリューム不足」というレビューは「それを感じる程度には引き伸ばしがなく綺麗に終わる(終われる)ゲーム」と肯定的に受け取っています。
変にストーリーがあったら「そのストーリーを追わなきゃ」という義務感が発生して、その義務感のためにつまらないゲームを強制されるような気分になり、どんどん気持ちが萎えていく。「最後まで遊ばせるための工夫」ではなく「満腹なのに無理やり食わせる工夫」になってしまう。
マジでプレイ時間が長いゲームを迎合する流れ、やめませんか。
と言っても、これも偏見かもしれませんが、多くの日本人ゲームプレイヤーは「時間をかけてコツコツ重ねる」がきっと好きなんでしょうねぇ。だから「JRPG」なんて概念が生まれる。
そして子どものころからその「JRPG」を楽しめなかった僕の好みがパルワールドの楽しみかたとあっていたってだけの話ではあります。
と、あとがきなのに、延々と喋ってしまう。
ここらへんで本当に終わります。
「なんかもうちょっと読みやすく・わかりやすく、いじれるんじゃね?」で無限に公開先延ばしにするのをやめたい所存でございます。
パルワールド、気になっている方は、ぜひ触ってほしいですね。
上述した通りゲームパス(ゲームのサブスク)で遊べるので、今だと最安1回分の月額、1000円くらいで遊べますよ。(クラウドでスマホでも遊べる)
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