若者よ、2倍速で映画を見よう。安いスピーカーで音楽を聞こう。実況動画でゲームを楽しもう!

ひき考(ひきこもりが考える)

最近バズっていたツイート(記事)を読んでモヤった。

まぁ、記事全体としてはどこにも敵を作らないような無難な着地だとは思う。でもひとまずこのツイートを読んで湧いた感情は良くないものだった。……絶妙にマーケティングされているようでムカつくな(笑)

 

他にも、こんなツイートを見た。

いや、別にどんなスピーカーで聴こうと、どんな音楽を好もうと、受け入れられることが認められない人の意見だなぁと思った。

 

さらにこんなツイート

を見かけた。

Jiniさんに関しては結構好きで文章を読んでますが、地獄とは思えなかったですねぇ。僕の意見としては「(Undertale未プレイとか)あほなことしてるなぁ。でもここまでプレイしてない層はどうせプレイせんだろうし、好きに楽しめばいいんじゃないのか」という感じではありますが、それを「地獄」と表現したんでしょうか。

 

 

 

んで!

 

とも
とも

消費者がワガママになって何が問題あるの? 皆、老害化してるんじゃない? 

 

と思ったので、書いていきます。

 

 

 

インスタントな受け取り方への批判の問題点

先ほど張り付けた3ツイートは要するに「作り手が想定している受け取り方以外への文句」が共通点。

 

この問題が何かと言うと、一番はその界隈の寿命を縮めているということ。

老害ってなんで「老『害』」と呼ばれているかと言う事、言葉通り害になるから。

ここで言う害は「新しい層の受け入れを拒む」ということ。

 

 

どの娯楽もそうですが、もっとも多いのはまだそれを知らない人(新規層)です。

 

その新規層が知る機会が無ければ売れることもない。

知ったとしても、「楽しみ方」のハードルが高ければそこから去っていく。

みんな娯楽にそんな高いハードルは求めてないんですよ。

 

人間は猿と大差ないので「光った!」「音が鳴った!」「ストーリーがある!」くらいで十分好奇心を刺激されます。

「批評家」と呼ばれる人達と同じ次元で楽しんでいる人間は少ないということです。

 

いや、「批評家」てきな楽しみ方を否定しているわけではないです。それは自由にしたらいい。むしろ自由にしていこう。

でも「批評家」が入門者を門前払いするようなマネは良い事とは言えない

仮に門前払いするなら、初心者でも入れる別な門を用意することが重要です

 

……正直、批評家側の嫉妬もあると思うんですよね。

批評家って批評するためにとてつもない量の勉強をしてきたわけです。

で、そんな時に目の前に「音がなってる! 絵が動いてる! ストーリーがある!」くらいで純粋に喜んでいる奴らを見ると、自分では楽しめない楽しみかたをしている奴に嫉妬しちゃうんだと思います。

「ちがうやい! そんなの『本当』の娯楽じゃないやい! 俺はもっと素晴らしい娯楽をしってるのに大衆は……」と怒るわけです。

 

わかるよ。

でも僕はンコダイスの流行にも「そんなのゲームじゃないやい!」って怒らないくらいに成長したよ。

自分含め人類みんな赤ちゃんチンパンジー! そんなことを思いながら生きてるってのもありますが。

 

 

でも強く思うのは、こうやってハードルを上げて行く人が文化を衰退させてるんだよなってこと。

自分で業界の首を絞めてることに気付いてないのかな?

いや、その「若いもんが」的な叩きでアクセスを稼いでるのであれば、別に「そういう仕事なんですねぇ(呆れ)」で終わりなんだけどさ。

 

そして、こんなツイートをした。

 

娯楽が高尚な芸術気取り始めたら終わりだ

音楽も、映画も、ゲームも、娯楽だ

そこに芸術を見出す気持ちもわかるし僕も芸術性はある程度理解しているつもりだけど、それを他人に押し付けてはならない。

娯楽においてプライドはゴミだ。

 

映画なんて結局視聴者数はYoutuberに負けてんじゃん。

それは無料だからとかじゃないよ。

Youtube見るために通信費(wifi含む)払ってるでしょ。それはサブスクだし、なんなら映画ならHuluやNetflix、アニメ特化ならdアニメストア、Youtubeを広告無しで見たいならYoutubeプレミアム……枚挙に暇がない。でもYoutubeよりも総再生回数は圧倒的に劣っている。

受け手にとって負担が少ない(娯楽性が高い)からだ。

 

 

可処分時間の減少、可処分所得の減少。

そんな世間に対し面白いかどうかも分からない娯楽ガチャを回せって、事情を考慮しなさすぎでしょ。

楽しむ大衆があってこそ娯楽は成り立つ。そこに老害化した不必要にルールにうるさいやつが来たら冷めるでしょ。

 

昔、芸術は貴族のたしなみであったところから、大衆娯楽という概念を得てまた現代版貴族のたしなみと化そうとするの、破滅の歴史を繰り返す愚かな行為。

 

僕はゲームで言うと比較的高難度なゲームが好きなんだけど、だからと言って「難度の低いゲームばかりやってるやつはゲームを分かってない」なんて主張をする気はない。最初にはった3ツイートは、そういった要素をふくんでいる。

それがその業界に「めんどくせーやつ」がいるという認識に繋がり、めんどくせーやつがいる場所からからは人が離れていく

そんな自分の好きな業界の首を絞めることはしない。

 

映画や音楽だって、そうだろう?

  • 良い音で聞くこと。
  • 2倍速で映画を見る事。
  • ゲームのプレイ動画を楽しむこと。

それらは大衆の消費環境の変化と受け取り方の多様化であり、生産側が消費者になんらかの文句を言うのはお門違い

 

どこまでを環境要因と言うかはわからないけど、「余裕がない」消費者に対しインスタントな魅力を提供することはもはやクリエイターの義務だと思う。(とかこんなクソ長い文章書いてる奴ーwww)

 

  • ふるいテレビで白黒映画を見ていた子供たちの感動は、嘘になるのか?
  • ライブ会場に行かないで聞くライブDVDは、楽しめてないのか?
  • 友人の後ろで見るゲームは、退屈なものなのか?

 

時代や環境で受け取り方は変わる。

作ってる側や批評する人が「こんなもの音楽(映画、ゲーム)ではない」と憤る理由なんかないし、それは巡り巡って自分の首を絞める愚かな行為だ。

 

 

教育の弊害。知識という負債

人間は自分の人生を肯定したい。

誰だってそうだ。

 

教育を受けたら、”教育を受けた自分”を肯定したい。

 

逆に言うと、教育を受けない人が楽しんでいるのを見ることは、自分が受けた教育を否定されているような気分になる。

 

「自分が作ったあるいは受けてきた作品よりも「浅い」はずのものなのに、受けている。ありえない……。」

 

そんな嫉妬や羨望。その感情に気付きたくないから、自分を塗り重ねた理論で防御している。

「自分がやったから」と根拠なくうさぎ跳びを強要する体育会系となんの違いもない。

 

言葉なんか最たるものだよ。

学べば学ぶほどに、それが重荷になる。傷つくことが増える。

 

言葉さえ知らなければ、こんな悲劇は生まれない。

 

「ニガーは差別的な表現である」という「教育」を受けた結果、ただ女の子が「苦~っ」と言ってるだけのシーンに「ニガー(差別的発言)!?」となる。

 

そして「ニガー」を差別表現と決めたのは、(広義の)教育だ。

知識はたのしむための負債になるんだよ。

 

映画を学習し、教育を受けたものが、映画に高尚な意味を求める。

音楽も、ゲームも、同じだ。なんだってそうなんだよ。

そしてその知識が自負になり、不要な重荷を背負うことになる。

 

ぼくにとって娯楽とは

娯楽は気軽に受け取れる物であるべき。

僕は強くそう思ってる。

 

最近流行った「ンコダイス」だってそうだろう。

僕もゲーマーの一端だからどういうものが「”ゲーム”として優れているか」というのは、ほんの少しはわかるつもりだ。

ンコダイスは同価格の名作(FTL、Undertale、Hotline Miami等々)と比較し、ゲームとして優れているとは思わない。実質チンチロリンに若干技術介入の余地があるだけだ。

 

関連リンク

ぼくのおすすめゲーム約100選

 

しかし、ゲームはゲームである前に娯楽なんだよ

 

  • ダイスを振る。
  • 「う ん こ」が出る。
  • 笑う

 

娯楽ってそういうものじゃない?

精神分析学者、ジークムント・フロイトが提唱した「アナーレ・ファーゼ」から脱却できてない大人も多いし。

……と言って「フフッ」と笑えるか「意味が全く分からん」という人では楽しめるギャグ(面白いかどうかはいったん置いといて)の幅は広がるとは思うんだよ。

 

 

でも僕は表現として「子供が『うんちー!』って言って笑うように笑えるンコダイスがすこすこスコティッシュフォールド」と誰にでもわかりやすく言うほうが好きだ。

なにより娯楽として正しい方向性……つまり、多くの人に受け入れられるとも思ってる。

 

(広義の)オタクは芸術家を気取ってそれを忘れてしまっている。

 

ユーザーに寄り添った娯楽というのは、ゲームだと例えばFF7のスイッチ版とかだと3倍速でプレイできる。

PS版、当時のスタッフは「これが完璧な演出だ」と思いながら作ったであろう部分を倍速に出来るようになったんだ。

その改変の根本は、FF7と言う娯楽の形が今の時代に即していないと判断したんだろう。この改変こそ娯楽のあるべき姿。延々とムービーを見せられたり演出をスキップできないようなゲームとは違う。

 

それと同じで、どんな娯楽も時代(受け手の環境変化)と共に変わらなければならない。

映画も2倍速で見られるのであればそれが時代だと飲み込まなければならないし、音楽もちゃんとしたスピーカーで聴かれないのであれば、それが時代なんだと飲み込まなければならない。

 

「今の時代より昔の方が良かったなぁ」という懐古厨ではなく、「だから今の時代は嘆かわしい、変わるべきだ」と強要するのは老害であり娯楽とは最も遠い。

 

時代と共に変わらないのであればそれは淘汰されるだけで、映画の2倍速なんかはそういう消費の仕方が生まれたという事実だ。

あくまで結果を受け入れ、その消費の仕方に合わせなければならない。いや、合わせなくても良いけど文句を言う老害化はその界隈の寿命を縮めるだけでホンマにメリットが無いと思います。発信者の満足心を満たすだけ(とかこんな記事を書いてる奴が言う!)

 

消費者が正しいと信じるならそれは正しいんだよ。こと娯楽に関しては特にそうだ。

 

ちなみに最近大爆笑した動画に

この世の終わりみたいなこの動画があります。

 

同作者の別動画のコメントに

下品な言葉を無知に笑える娯楽性が大好き

というコメントがあったんですが、まさにこれです。

 

娯楽とは、無知に笑う(良い感情を想起させる)事。

それが、大大大大大大大前提なんですよ。

別に2倍速が云々とかスピーカーが云々とか、そういう話は娯楽と関係ない。

 

分かりやすさ。笑い。缶コーヒーのようにプシュッと開けてゴクゴク飲めるような簡易さ。それに勝る娯楽はない。

分かりやすく無ければ伝わらない。面倒があれば受け取らない。

そんなもの当たり前じゃないですか。

 

まとめ 他人の足を引っ張らず楽しく生きよう

どちらの立場だとしてもあなたがそれが楽しいと思ったなら、それが正しい。

作者の想定はあるだろうけど、その通り受け取っても無視しても、楽しければそれでいいんだ。

その楽しみ方が誰かに正しくないと言われても、正しいんだよ。それでいい。

娯楽が娯楽であることの尊さを語ったけど、別に娯楽に芸術性を見出すことを間違っているとは言っていない。

 

でも、本来広める側が老害化して娯楽の大衆化を否定するのはその業界の損失になる

 

まとめると

 

とも
とも

批評家のおまいら、KYwwww

 

ってことです。

 

……自分も老害化が最近進んでいると思ってるので、気を付けたい所存。

あるいは老害と認めてわめき散らすほうが、年相応の健全な生き方なんだろうか?

他人に気を使い続けてビクビクしてるおじさんも、それはそれでなんかなさけない人生ですよねぇ。

 

でもこうやっちゃゴチャゴチャ言うのも僕にとって一つの娯楽だから、結局同じ穴のムジナなんだろうなとも思う。

 

 

とも
とも

そして消費者側だから! ぼくは消費者側だから文句言うことも娯楽だから!!!

 

と文句を書く正当化をはかる奴―www

今後文句をいうときに批判を受けてもダメージが減らせるよう理論武装しました☆ これで最強!(コメントは嬉しいので批判だとしても随時受け付けてます)

 

というわけで今後もブリブリと世界に文句を言っていく所存です。よろしくおねがいします。

 

とも
とも

……こうして老害がまたひとり生まれとさ、どっとはらい。

 

 

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