エロティック×アナボリックはド変態向けの究極オタク本だ(レビューと名言紹介

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「エロティック×アナボリック」はオタクが作った真のオタクを描く漫画だ。

えちえちな見た目に惑わさることなかれ。

「好き」にステータス全振り出来なかったあなたにこそ読んで欲しい、魂の救済と燃焼の漫画だ。

 

認められないと思っていた変態性が、適度な距離をもって「さもありなん」とする登場人物しか出てこないこの漫画が、非常に心地よい

全体的にコミュ障的な、システマチックな会話を繰り広げる。

 

その象徴は

テスト勉強の時間を前借りして補修の時間で返すだけやもん

アドやん?

(原文ママ。誤字ってますよ!(補習→補修) なんらかの伏線ならすいません。)

 

これだ。

「アド※」とかいう言葉が出て来るのがオタクの象徴って感じだな。

※アド=アドバンテージ。遊戯王界隈では「得」くらいな意味合い。

 

翻訳すると「テスト勉強時間より、補習で消費する時間の方が得」という感じか。

 

このセリフにビビットくるオタクは、ぜひ読んで欲しい。

 

あらすじ

阿下喜(あげき)という高校生デブ男子が主人公。

いつも眺めている女子、「三蔵(みつくら)」さんにピザを食ってるところを、ゴミを見るかのような目で見下される。

そしてそんな三蔵さんの魅力を、密かにノートに絵で納める。

 

放課後三蔵さんが立ち入り禁止の屋上に入っていくのを見た主人公阿下喜。

そこで見た三蔵さんは、ほぼ全裸、ドスケベ下着を身に着けて自撮りをしている姿だった!

 

そんな三蔵さんと阿下喜君の高校生活を描く物語。

 

……ただまぁ、そんなものは些末なことです。

この物語の本質は「求道者」を描くこと。

 

求道者。究極の道を求める。

求道者とは、一つのものを極める人の事。

 

三蔵さんが肉体を磨くことを続ける理由を聞かれた時のシーン。

最早やる気はないと言った上で

あの一瞬の衝動だけは証明し続けないといけないって

それができやんかったらあの時の自分がきっと嘘になる

エロというガワはあるけど、本質は「究極オタク」のムーブを眺める漫画

このシーンがめちゃくちゃに好き。

 

…言い方を変えるなら「求道者」ともいえる。そしてその熱さが心に刺さる

求道者の言葉は、違う分野だとしても突き詰めたことがある人なら、きっと解る。

 

……羨望と嫉妬を含むが、僕自身はそうなれなかった。

どれだけ好きなことでも、それをたった一つ追い続けるということを捨ててしまった。追いきる能力もなかった。

 

集中と継続は、才能だ。

「それは努力の領分だ。言い訳にしか聞こえない」と思うかもしれないが、僕自身ゲームで世界を追ったことがあるからこそ感じた。

 

求道者であることは、理解を得ることは目的ではないものの、やはり理解とは遠い。真の孤独ともいえる。

 

そして、それがたった一人でも理解されれば、それはこの上ない幸福だ。

三蔵さんは、阿下喜くんに、きっとそんな孤独からの救済を得た。

 

同じように、何か一つの事。自分にはこれしかないと信じたことがある人には、きっと刺さる。

そして救われなかった過去を、ほんの少しでも通じ合う人がいるとわかるだけで、少しは救われた気分になる。

 

肉体というインプットに対してアウトプットする物体

この漫画はシステマチックな肉体という物体を語る。

……栄養は絵の具みたいなものでね

絵の具って一つ一つ個性的な色を持っていても…

それをただ塗るだけじゃ作品にはならないでしょ

栄養摂取も同じ

このお弁当「だけ」では道具の組み合わせにすぎないからね

一番大事なのは明確にデザインを思い描くこと

 

肉体は接種した栄養を反映するキャンパスと三蔵さんは語る。

こういう、突き詰めて人間を物体と捉える考え方が、めっちゃ好き。

 

そしてその上で「物体はあくまで物体。人の意思が介在して初めて芸術と化す」という考え方も、好き。

 

不調だから食事をしない?

予定に反してトレーニングを休む?

そんなイレギュラーは私の身体には許されない

そう、この求道者っぷりよ!

感情とほぼ運な不調を「イレギュラー」と断定しなお前向きに取り組む姿勢よ!

 

たまらなく魂に火が灯る。

 

リアルなやりとり、登場人物の心情、そしてその非リアル。

三蔵さんあんな顔すんのか

ピザ嫌いなんかな

この受け流しかたが、非常にリアル。

図体とともに精神もどっしりしている主人公に好感が持てる。

 

テスト中も一人だけ姿勢がよかったな

制服の上からなのに背骨のS字が透けて見えるような…

この「よく見ている感」も非常にリアル。

 

しかし、設定は非リアル。

僕の周りに居なかっただけかもしれないけど、「道を追うもの」が惹かれ合う。

好きを突き詰める人は、万人に一人と言った所。

それが、この物語ではポコポコと複数人でてくる。

まぁそれは漫画だからテンション維持のためいいとして。

 

話は少しそれたが、求道者とはつまり「他の道を捨てた」人ともいえる。

 

二人の、論理的かつ感情値の低い会話。

好きな事(=肉体の美の証明)をして気分が良さそうな三蔵さんに対しての阿下喜のセリフ

……そうだよな

普通そういう顔をするんだ

好きなことをするってことは

やっぱり俺は絵を描くのは好きじゃない

この含みのある、夢を追っている人に対するまなざしも、わかりみが深い。

 

好きを追い続けている人を眺め、「自分の好き」を否定されたような感覚。

そしてその「否定」をすぐさま肯定する自己俯瞰。

この達観した感じが「捨てた人」のセリフだ。

 

好きを追ったことがあるからこそ、その心の機微が伝わってくる。

 

好きを追ったことがある人こそ救われる漫画。

多分、本気で好きな事を追った人には、非常に登場人物に感情を動かされるはずだ。

それは良くも悪くもだけど。

それを救済する漫画は、普通の漫画ではない。

落ちぶれた者の傷のなめ合い。とは言わないけど、密かに「わかる」で救済され、そして「わかる」で魂が燃え「なにかやったろう」という気持ちになれる漫画。

 

まぁ

胸でかっ!

腰ほそっ!

腿ふとっ!

尻でかっ!

という阿下喜くんのセリフと同じように、そんな三蔵さんを眺めているだけで幸福な人や、上の立場の女の子にニヤニヤされるのが好きな人にもオススメだぞ! コミックス巻末には逆バニー三蔵さんも!!!! ぼ、僕はそんなハレンチな事を目的に見たわけではなくて、魂の救済と燃焼を目的に云々

 

読め。

 

 

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