東方ファン歴約17年目の東方大好きおじさんです。
今日は
二次創作を楽しんでいたら『原作やってないの? それは東方ファンじゃないよねw』とかいうクソキモいやつに絡まれてマジでウザい。
東方原作プレイすべきなの? 別に楽しんでるんだからそれでよくない?
と思っている方にむけ、東方大好きおじさんが思うことを語っていきます。
原作をせずに楽しめる東方というコンテンツの素晴らしさ
まず個人的な考えを述べておくと……
東方原作をやらずとも二次創作を楽しんでいるなら、それはとてもよいこと
というかそれで楽しめる「東方」、あまりにも素晴らしくない?
言い換えるなら「東方」を楽しんでいるならそれで良い。というだけの話です。
東方に限らずですが、全ての娯楽は楽しめればそれで100点です。
原作をプレイしているかしていないかは楽しんでいるかどうかには全く関係ない。原作をやらなければ二次創作を楽しめない……というほど東方は浅いコンテンツだとは思わないです。
フランちゃんの可愛い絵がある! かわいいー♡
100点です! 素晴らしい!
イマ楽しんでいることに、原作をプレイしているかどうかは全く関係ありません。
フランちゃんのかわいさに、原作プレイ済みかどうか。ぜんぜん関係ないです。存分に愛でるべきです。
さらに原作プレイしていなくてもフランちゃんのテーマソング「U.Nオーエンは彼女なのか?」を聞いて、テンションがアガっているかもしれません。
今や各種音楽サブスクに東方の曲が入っているので、聞いている方も多いでしょう。
それもまた一つの東方ファンとしての活動の形です。素晴らしい。
ただ、そこまで東方に触れた、東方に興味がある、東方が好きなのであれば「どうして原作をやってないの?」とは思います。
繰り返しになりますが、これは「原作をやれ」という圧を言い換えているわけではありません。
純粋な疑問としてです。
あなたはオーエンそしてフランちゃんや、もしかしたらハルトマンそしてこいしちゃんが好きかもしれません。
つまり東方の中のなにかが好きなわけですよね。
東方を愛する適正はあるわけです。
1ミリも興味がなかったら、二次創作に触れていないはずですから。
それなのにその源泉である原作を浴びないのは「もったいない」という気持ち。
例えるなら秘湯がある宿に行ったのにシャワーだけ浴びて帰るようなもったいなさ。
「どうして温泉に入っていかないの?」という疑問とおなじです
原作をプレイしなくても楽しめるけど、原作をプレイしていないのは「もったいない」
強く強調しておきたいのは「プレイすれば東方好き!」あるいは「未プレイは東方好きじゃない!」とかそういう話をしたいわけじゃないです。
単純に「東方界隈でもっとも二次創作に影響を与えている『東方原作』という創作物」を味わっていないもったいなさ。
麦茶の炭酸割りを飲んでビールを飲んでいないようなもったいなさ
あるいはスイカバーが好きなのに、スイカを食べたことがないようなもったいなさ。
あるいはソフトクリームが好きなのに、牛肉を食べていないようなもったいなさ(これは違うかも)
イマ「東方」をなんらかの形で楽しんでいるんだとしたら、原作は手を伸ばせば届く距離にある「濃度100%、最高の東方」です。
それを触っていないのは、本当に、本当に、もったいない。
温泉が目の前にあるのに、温泉をスケッチした絵を見て温泉に入らないようなものです。あとは飛び込むだけなのに!
アナタが見ている「東方二次創作」を作ろうとした人の情熱の源泉が「東方原作」なわけです。
その源泉がすぐそばにあるのに二次創作だけで「東方」を済ませる。
もう少しだけ手を伸ばして欲しい……!
二次創作を100%楽しめていないもったいなさ
そして二次創作だけを味わっている人にわかってほしいのは、前提として「原作が本当に素晴らしいからこそ、それに影響を受けて二次創作が生まれた」ということ。
誰しも、なんの興味もない作品の二次創作をしようとは思いません
よく東方が広がったのは「二次創作を原作者が許可したから」という論調がありまして。
確かにそれも理由として多少あるでしょうが、もっと根っこの部分で言うと「原作が素晴らしいから」が二次創作が爆発的に増えた本質です。
繰り返しになりますが、誰が許可しようとも「原作の世界を自分でも表現したい」と思えない程度のものは二次創作されません。
「この世界を自分でも表現したい!」これが1歩目で、「原作」はそのスタート地点です。
そしてその影響を受けて生まれた「二次創作」は、やはり「原作を遊んだ」経験があるかないかで、一つの作品から受け取れる物が情報が増えます。
東方Projectというものの原作と二次創作の関係が特殊なので、なかなかうまい例え話も難しいんですが……二次創作を桜の木だとしましょうか。
桜の花びらである二次創作と、その幹や根である原作。
桜の花びらは美しいですが、それが咲くには幹や根がなければなりません。
幹の力強さ、桜の花を咲かせるエネルギー、そういったものが原作には秘められているということです。
そして幹や根を分析することで見える、桜の美しさの機微というものもある。逆に花を見てから改めて幹を見ることで別な魅力を見つけるということもあります。
原作と二次創作って、持ちつ持たれつなんですよねぇ
だから、原作・二次創作、どちらか片方に肩入れしすぎることは、別の角度からの「東方」を捉える視点が足りなくなってくる、ということです。それは、もったいない。
二次創作を100%楽しむとは?
例えばですけど、Youtubeで1600万回以上再生されている悪戯センセーションという曲のPVがありまして、見たことがあることのある方も多いかもしれません。
原作をプレイしていない方だと「スカーレット姉妹が出ているかわいい曲」で100点の楽しみを味わっています。
でも、ぜひもう一歩踏み込んだ味わい方を知ってほしい
ここからはこの楽曲に対し、早口オタク語りをします。
「原作をプレイしていると、どういう視点を持てるか」というお話。
1:11からの5秒間の表現に対しての話であくまで憶測ですが……
- 「運命絡ませて」という歌詞。これは原作レミリアの「運命を操る程度の能力」から着想を得た歌詞であり、次の歌詞に繋がる
- その部分のメロディは原作「亡き王女の為のセプテット」というレミリアのテーマのアレンジになっていまして、レミリアの立場からの歌詞という表現
- 「姉妹の究極『ファイブオブアカインド』キラめいて」という歌詞。これは原作フランドールの「禁忌『フォーオブアカインド』」という自身が4人になるスペルカードに着想を得て、レミリアを含めて「姉妹の究極『ファイブオブアカインド』」というスペルカードにしたという解釈&歌詞です。レミリアが持つ運命を操る能力からレミリアそのものを「運命」として、それを「絡ませた」結果、「フォー(4)」オブアカインドに+1されて「ファイブ(5)」になったということ
- フォーオブアカインドはポーカーのフォーカードのこと。ファイブオブアカインドはつまりファイブカードのことだが、ジョーカー(ワイルドカード)がないと成立しない。そして一般的なポーカーではジョーカーが採用されない。だから「姉妹(フランドールでフォーカード、ジョーカーとしてレミリアが揃うことで)の究極」の手札ということ。
- もしかしたら「運命を操る能力」で「運命を絡ませた」結果、ゲームのルールが変更されたという表現かもしれない
- そしてその部分のメロディは原作「U.Nオーエンは彼女なのか」というフランドールのテーマソングのメロディアレンジ。同じくこちらはフランの立場からの歌詞という表現
- テーマソングは本人の象徴ということで、これらメロディの応酬から、各々の主張をバチバチにやりあっていることが伝わってきます
と、たった5秒程度の内容なわけですが、ぱっと気づいただけでこれだけの意味が込められていると感じました。
でもこれって、たぶん原作をプレイしていないと気づきづらいネタもあると思うんですよね。
「どれだけ多くのネタが仕込まれているか」という一歩踏み込んだ読み取り方をするために原作をプレイしていると役に立つわけです。
そしてそれはもう一段深い感動を二次創作に対して味わえるということ。
もしかしたら、原作はある種「虫メガネのレンズ」みたいなものだといえるかも
二次創作で細々と散らばったネタは、原作というレンズを通さないと小さすぎて見えないということです。
原作というレンズを通すと、その小さなネタの一つ一つが鮮明に見える。「そういう小さなネタが散りばめられていたのか!」という感動。これは原作というレンズを通さないと味わえないでしょう。
あるいは原作をプレイしていないというのは、洋楽を歌詞も知らず聞いているのに近いかもしれません。
それはそれでいい曲だけど、歌詞を知ることで「こういう曲だったのかぁ~!」と気づいてもっと好きになることもある。
そういった意味で、原作をプレイしていないということは、二次創作で語りたいことや表現したいことを見逃すかもしれないという意味でももったいないですね。
わざわざ原作をプレイすることで何が得られるか?
ここまで言うと
言いたいことはなんとなくわかったけど、それってプレイ動画見るだけじゃだめなの?
という反論がありそうですね。
勿論原作をプレイしていなくてもひたすら情報を追っていれば解釈自体は可能かもしれません。
とは言え前述した通りそれって「温泉に入らずに温泉に入ったつもりになる」ようなものだと思ってまして。
温泉入浴中の動画を見て、お湯の温度を知って、温泉の匂いを知って……と重ねても「温泉に入った感想」や「温泉に入った記憶」は残らないじゃないですか。
原作をプレイするということは、原作をプレイしないと得られない体験を得ると言い換えてもいいかもしれません。「知識」は後付でも良い。でも「体験」は体験することでしか味わえません。
で、「体験」が伴うと、良くも悪くも記憶に残りやすいというメリットもあります。
例えばゲームの演出として「フランドールが4人になる『フォーオブアカインド』というスペル」という「記憶」は、情報を追っているだけでは覚えづらいです。
それに紐づいて「オーエン」が彼女と戦っている時の曲という「体験・記憶」もまた原作をプレイしているときにしか味わえません。
さらにはじめからまとめられた情報として受け取るのではなく、ゲームをプレイして「これはなんだ?」という疑問を持った上で調べた解釈のほうが記憶に強く残りますし、「自分の解釈」として「他の人の解釈との差」を楽しめます。
原作をプレイせずに情報だけを追う。答えと思われるものだけを集める。
これではせっかく「ゲームプレイ」「弾幕(スペルカード)」「音楽」という「非言語要素で東方を受け取る」という楽しみ方をZUNさんが提供してくれているのに、それを楽しんでいないことになります。
体験というのはそういうことで、非言語的な要素を非言語のままで受け取れる貴重な機会です。
東方Projectは良くも悪くも非常に曖昧です
答えが明示されていない、曖昧な表現の多い「原作」。
それを何の情報も無い状態でプレイすることは、そのまま自分なりに咀嚼して飲み込むということ。
その工程を経るからこそ二次創作という「誰かの中での答え」と自分が「原作をプレイして感じたモノという答え」が「どう違うか」を楽しめる。
原作という答えの無いものを自分で解釈していく楽しみ。その体験を経たうえで二次創作という誰かの答えを読む楽しみ。
これって、やっぱり原作をプレイしていないと味わえない喜びだと思います。
「二次創作だけで楽しい」。これはこれでひとつの楽しみ方です。
ただ「その二次創作に深く込められた解釈」を味わうためにも原作をプレイする、というのもまた東方Projectの楽しみ方のひとつだと思います。
そしてその楽しみが味わえていないのは、まるでプリンのカラメルを捨てるような「もったいなさ」があります。両方を食べてこそ美味しいプリン!
原作をどう解釈して二次創作がなされているか。
原作をプレイし自分なりに味わった上でそれを読み取るのがとってもたのしい!
「東方Project」という作品をプレイすること、その味わいを感じられる贅沢。動画だけでは得られない味です。
原作と二次創作、両方を楽しんでいる状態が一番楽しい!
二次創作と原作って両輪なんですよ。東方の場合は特に。
上述の通り、原作は曖昧だからこそあらゆる二次創作が生まれ、お互いが情報を補強する。
二次創作を「かわいー♡」だけで楽しむ東方。100点です。
しかし「原作を味わった上で楽しむ東方要素」で+100点、200点になるわけです。
二次創作も味わう。原作も味わう。これが100%東方を楽しむ、ということだと僕は思っています。
そしてその体験をするためには、やっぱり原作をプレイするのが一番手っ取り早い。
繰り返しになりますが「知識や情報」だけに着目するのであれば、原作をプレイする必要はないと思いますし、自分の中で咀嚼できる範囲で二次創作を楽しんでいるのであればそれを否定する意図もありません。
しかし「原作という体験」を通じて得られるものはきっと想像よりも多く、それが「東方」をより楽しむのパーツになるとも思っています。
原作をプレイすれば、もっと二次創作を楽しめる! 東方はいまよりさらに、もっともっと面白くなるんだよ!
と熱く伝えたいわけです。原作好きとしては。そして何より原作をくみとった二次創作好きとしても。
本当に楽しい東方Project
16年以上東方を楽しんでいると、過去幾度も「原作やるべきか」論争を見かけてきました。
僕の思いとしては、ここまで語った通り「やったほうが楽しめると思うけど、イマ楽しんでいるならそれはそれで100点」という感じです。
でもその論争で一番問題だと思うのは「楽しみ方の強制」。
そしてあらゆる意味での「マウント」。
これは原作をプレイしているしていないという問題ではなく、その発言者の「押し付け」が問題なんですよね
何度も繰り返しておきますが、僕は「原作をやれ」と強制しているわけではありませんし、原作をやれと強制する人を持ち上げるつもりもありません。
楽しんでいることに、優劣も義務もありません。
本当に二次創作だけで東方が素晴らしいと思っていることが素晴らしいとは思います。それに原作をやっていないから東方が好きじゃないとは全く思いません。
でも、「二次創作を生み出したい」と多くの人が思う程度に素晴らしい原作という東方濃度100%の創作を触れていないことが「もったいない」という思い。
これに尽きます。
最近あまり言われなくなって久しいですが、その昔「厨」という言葉がありました(いまもある?)。言い換えるなら「信者」あるいは「狂信者」とも言われるような、スタイルの押し付けをする人です。
「厨」とはつまりまさにイマ「原作をやらないやつは東方好きじゃない」と言っているような人たちのことです
ただこの発言は、それを「攻撃(マウント)の武器」として使ったからこのように問題になっているわけでして。
僕は思うんですが、その「厨」も根っこの部分では「原作は素晴らしい」という、純粋な「良いものを浴びた時の情熱」だったはずです。「本当は原作を含めて、もっと東方は楽しいんだぞ」と言いたかったのではないでしょうか。
そして、嫌な奴という先入観をできる限り減らして相手側に寄り添ったら、「そう言いたくなるほどに素晴らしいものである」と考えることもできませんか?
何が言いたいかというと、押し付けに反抗心を覚えて「絶対に原作なんかやるもんか!」とまで拒否感を持つのは、楽しめる可能性を自ら狭めてしまっているということです。
もちろん強制するやつはウザイので、ツイッター(X)で見かけたなら1秒でブロックした上で推しキャラ眺めて落ち着きましょう
まぁ、結局、そいつらを無視してもなんの問題もないですし、原作をやってなくても楽しめるなら全然それで良いと思います。
原作をやっていないことを卑下する必要はないです。今のまま楽しめばよいでしょう。
とはいえ、原作をやっていないことは胸を張って自慢することでもないです。
楽しんでいるならわざわざ「原作やってないけど」などの前置きはいらないです。
そう主張する人はだいたい「原作をやっていない」という後ろめたさがあるからわざわざ主張しているわけです。
そういう人にこそ一歩進んでえいやと頑張って原作に手を伸ばしてみてほしいな、と思ったりもします。
個人的な意見を述べるなら「原作厨」も「原作やってないと主張する勢」も、お互い様なんですよね。
- 原作やれ勢は「原作をやっているから楽しんでいる→原作をやってないのなら楽しんでいない」というマウント。
- 原作やってないけど楽しんでいる勢は「原作やってないのに楽しんでいる→原作やってるやつは無駄なことをしている」というマウント。
極論ですがどちらも相手への干渉しすぎが問題の起きる原因です。
逆に言うなら、干渉せずにお互いがお互いの魅力を伝え続けること。
- 原作好きは「原作楽しいよ! こんな魅力があるよ!」
- 二次好きは「二次創作楽しいよ! こんな魅力があるよ!」
と言うに留める。
ここで終われば、お互いハッピーじゃないですかね
わざわざ楽しんでいることを「相手が感じている価値を否定すること」に使うのは美しくない。
お互いにとっての「本当に楽しい東方」を、「本当に楽しいよ!」と言い続ければいいんじゃないでしょうか。
その先にある相手への楽しさの押し付けがお互いの不幸を呼び寄せる。
問題なのは、二次創作・原作、どちらかに偏ること。偏ると「反対側」を下げる形でバランスを取ろうとしはじめるわけです。
「どっちが正しい」と白黒つけようとするのは、どんどん「楽しい東方」から離れていってしまうと思っています。
どれだけ完璧な正論でも……むしろ正論だからこそ相手からしたら一方的に押し付けられているように感じるものです。例えば「原作者は原作なんてやらなくていいって言ってた」というようなの、虎の威を借る狐さんてきな正論マウンティングなので好かれないです。
だれかの楽しさに正しさなんて必要ないんですよ
もちろんそれを踏まえた上で、一歩踏み込んだところで議論することは健全かと思います。しかしどちらの立場だとしても「その活動は悪いことだ!」と一方的な意見の押し付けは健全ではないです。
念のため補足しておくと、これもまた「『意見を押し付けるな』という『意見の押し付け』」ですので、僕の意見が全面的に正しいと主張する意図はないです。あくまで個人的な感性として、美醜やスキキライで語るとするなら、楽しいことを語り続ける姿勢が美しく、意見の押し付けからのマウンティングは嫌いというだけの話。
……まぁ、身も蓋もないことを言えばこれは綺麗事です。
ただ僕は東方界隈にこそ(少なくとも表面上は)綺麗で居て欲しいと願っています。
そうすれば、原作でも、二次創作でも、「東方」に興味を持ったヒトがまずその界隈に近づいて見ようと思えますから。ヒトは危なそうなところに近づきません。
そしてそれは新しいファンの獲得に繋がるから。
ひいてはそれが「東方で遊ぶ」という活動そのものの寿命が伸びることに繋がると思っています。
だから「楽しい」という姿を表明しつづけることが「美しい」と考えます。
それは「原作・二次創作が楽しい」という両方の軸で。
原作を遊ぶことも含めて「東方Projectは本当に楽しいぞ!」ってことを言っていきたいわけです。
原作のお手軽な楽しみ方
と、ここまで「二次創作を楽しむためにも原作を楽しむことがオススメだよ」ってことを語ってきたわけです。
ここで最も想定される反論……
そう言われてもパソコンをもってない
というやつですね。
先にお断りすると、原作を楽しむ手段はパソコンでプレイする以外にも色々あります。
しかし細かく解説するとそれこそ解説項目が山のようにありまして(それは現在別記事で編集中ですが)、ひとまずパソコンもってない方も含めて「これやればOK!」というお手軽解説をここに載せておきます。
おそらく想像しているよりは手軽に、お安くプレイできると思います
一番簡単な東方Projectを遊ぶ手順
これからごちゃごちゃと喋りますが、結局「パソコンで原作を遊ぶ」が最高です。
そこでネックになるのは値段。
ゲームするってなると何十万円もするゲーミングPCとかが必要になるんでしょ?
という声も聞こえてきますが、実は(少なくとも東方原作を遊ぶだけなら)そこまでの負担は無いよってことをお話していきます。
必要な手順をざっと解説(持っているものは当然省略していいです)しますが……
- 「紅魔郷」のゲームソフト(ディスク)を買う
- 紅魔郷が動作する、CDを読み取れる「パソコン」を買う
- CDを読み取れないパソコンを持っている場合、ディスクを読み取るために「CDドライブ」を買う
- PCで使えるコントローラーを持っていない場合、「コントローラー(ゲームパッド)」を買う
- パソコンに紅魔郷を入れる
- windows10以降で、正常動作しないのであればパッチ(アプデ)する
- あそぶ
以上が簡単な流れです。
最低限、上記の手順を踏めば東方原作プレイの下準備は完了です。
以下でざっくり解説していきます。
1はそのまま、ゲームソフトを買いましょうという意味です。
上の「東方紅魔郷」が実質1作目です。これから始めるのが東方Projectを味わうなら一番オススメ。
2番はご自宅にパソコンがあれば、まずはそれで動くか試してみると良いです。紅魔郷は20年前のゲームなので、10年以上前のパソコンでもおそらく動く程度には軽いです。(ちなみにパソコンはざっくり言うとWIndowsとMacという2種類あるんですが、東方はMac非対応です)
もし東方が動くパソコンを持っていないなら、Amazonで2万円前後のものでも十分動くはずです。
ここらへん(Amazonリンク)のパソコンで十分かと思います
17500~22000円の範囲で「DVD(ドライブ=ゲームの読み取り)」という文字列が含まれているものを検索しているので、最低限東方を動かせるPCが候補にならんでいるはず。念のため商品ページを見て本当にDVDドライブがついてるかだけは確認してください。
ただ原作には格闘・アクションゲームシリーズがあるんですが、それは2万前後のものだと動作が厳しいかも。
動作が重たそうで動かないかもしれない新しめの格闘・アクションシリーズはスイッチにも出てたりするので、もし動かなかったらそっちで遊ぶ、とかもありかと思います。
3番めは既にお家にWindowsのパソコンがあるけど、CDを読み取るパーツが無い場合。これもまぁ外付けで買えます。
こんなもので十分でしょう。ただディスクを読み取るだけの物体なので、なんでも読めさえすればなんでもいいです。
ちなみに東方が動くか試したい場合、Steamなどで体験版があるので、一度それを試してみると良いかもしれません。
4番目はSwitchのプロコンがあるならそれをBluetooth接続(パソコン側でできるなら)するとかもありです。うまく動かない場合などは、PCの標準コントローラーがXboxコントローラーなのでそれを買うのがオススメ。
ちょっと高く感じますが、安いのはすぐ壊れたりするので、安定していて高品質なXboxコントローラーが良いです。
5番はそのまま、ドライブに紅魔郷のゲームディスクを居れて、インストールするだけ。画面にしたがってポチポチすればOKです。
6番は若干手間ですが、動画解説などもあるのでなんとかなるでしょう。紅魔郷だけこういうキツ目のバグがあって、他の作品は概ねそのまま動くはずです。もしバグっても検索すればだいたい解決策が出るはず。パソコン触るとなればこういうのに慣れていくのも大事です。
解説動画を見ても難しい場合は、代案として「蜃気楼」などの画面サイズ変更のフリーソフトで拡大するというのも一案です。フルスクリーン起動だとバグるわけなので、ウィンドウ状態で起動してそのウィンドウを拡大すればOKということ。
7番は言葉通り、動けばあとは遊ぶだけです。
というわけで……
- パソコン 2万円程度
- 東方紅魔郷(ゲームソフト) 2000円程度
- Xboxコントローラー 6000円程度
以上合計で最大で3万円程度もあれば最低限遊ぶ環境を整えられます。(最低限で揃えるなら18000円程度のパソコンとソフトだけで2万円程度。コントローラーはキーボードでも代替可能です)
想像よりは簡単に、お安く感じたのではないでしょうか
ただこれはゲームを遊ぶ環境を作るときの話だけで、そもそもゲーム自体の難易度が高いという声はあります。僕も決してゲームそのものが簡単とは言いません。
ただ、攻略動画なども充実しているので、そういったものを参考に徐々に進む距離を伸ばしていくことは可能ですし、その試行錯誤し上達する過程そのものが楽しいのです。
東方は運要素が少なく実力が問われるゲームですが、逆に言うと努力が反映されるゲームです。
簡単ではないですが、努力し、先に進み、新しいキャラクター、新しい弾幕、新しい音楽と出会う喜びは「原作やっててよかった!」と心から思える最高の体験ですよ。
パソコンもってない! という方への入り口。シューティング以外の東方Project原作の楽しみ方
上述した通り、パソコンを持ってない方でもせいぜい2~3万円あれば原作シューティングは十分遊べます。
ただなんらかの理由があり「どうしてもPCが入手できない」というような場合、簡単に原作とふれあえる手段がほかに3つあります。
もちろんあらゆる意味で紅魔郷(原作シューティング)からスタートするのが王道なので、どうしてもそれが難しい場合の話です。
- 書籍
- スイッチで販売しているゲームから入る
- 音楽
という3択ですね。
書籍で言うとマンガ6シリーズ、小説2シリーズ、その他キャラ設定書籍など色々ありますが、マンガの中の「三月精」が初心者にはオススメ。
(上記リンクはそれぞれ2,3,4部の1巻で、全て3巻まであります)
神出鬼没な妖精が主人公なので、薄く広く東方世界を味わえて(ほぼ)1~2話完結のゆるふわギャグのような作品のため、東方初心者でも楽しみやすいと思います。
1部~4部まであるのですが、1部は絶版でプレミアがついてるので入手し辛いかも。とは言えくり返しになりますが、基本1~2話完結なので、逆に4部から読んでも大きな問題はないです。
ちなみに電子書籍でもありますが、2部(Strange and Bright Nature Deity)と3部(Oriental Sacred Place.)にはおまけCDがついているので紙の本で集めるのがオススメ。
スイッチで販売しているゲームに関しては、2作品。「憑依華」と「剛欲異聞」が原作ゲームシリーズの第15.5弾と17.5弾です。余談ですがPS4には14.5弾の「深秘録」も。
……と、小数点がついているわけですが、その前後の作品とのつながりが整数の作品に比べると強いんですよね。なので単体としてオススメはし辛いです。
なにより一般的な「原作である弾幕シューティング」とはゲームシステムも全く違う特殊なアクションゲームのような感じなので、あくまで「ZUNさんが描くシナリオが入ったゲームを触れてみたい」という方で前後のつながりをあまり気にしない、ということであれば触ってみるのもよいかもしれません。
ちなみに余談ですが、他にも「東方〇〇」というゲームがスイッチのダウンロード販売やスマホアプリにもあったりしますが、全て二次創作(原作ではない)です。
ただしむしろ原作よりもわかりやすく楽しめるゲームも多いですし、興味を持った作品があるならば触ってみて東方への理解度を外堀から埋めていく、というのもよいと思います。
CD(音楽)に関しては、ZUNさんが全曲創ってるので15枚程度。上述したアクションっぽいゲームに数曲提供したものが入ってるサントラが6枚程度。その他細々した提供作品などが数枚。
と、合計で20枚以上のCDがあるわけですが、なんと今だと音楽サブスクに入ればZUNさんが作った東方Projectの音楽はほぼ全て聞けます。もちろんサブスクなのでほかにも二次創作のアレンジなどもたくさん。
言うまでもないですが、東方Projectは音楽が非常に高く評価されています。
東方をあまり知らずとも音楽から原作に入った僕のような方も多いのではないでしょうか。
そんな中でも、「音楽CD」として世に出た曲を聞くというのは、原作シューティングをプレイ出来ない場合に最も「ZUN度100%」を味わうのに適した手段です。
- 「蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise」というCDにはあの「U.N.オーエンは彼女なのか?」が入っています
- 「幺樂団の歴史1 Akyu’s Untouched Score vol.1」というCDにはあの「Bad Apple!!」の原曲が入っています。
……とか、そういう「二次創作云々」を抜きに、どのCDも聞くほどに味を増していく名盤ばかりです。
音楽から東方Projectを触り始める、というのはとてもオススメ。
CDを買わずともサブスクで聴き放題ってのが嬉しいですね。
ちなみに東方関連の楽曲が聞けるサブスクにAmazon Music Unlimitedというのがあるんですが、2023年10月15日まで初回4ヶ月無料(プライム会員じゃない場合は3ヶ月まで)でお試しできるようです。
普段は1ヶ月無料ですので長期間無料で体験できるイマ、こういったサブスクを活用してぜひ色々東方の楽曲を聞いて欲しいです。
改めて原作をオススメするお話
と、ここまで読んでもしかしたら気づいた方がいるかも知れませんが……
このZUNって人、マンガ何十冊もの原作もして、小説も書いて、キャラ設定本とか色々だして、音楽も500曲以上作って、ゲームも20本以上作ったり携わったりして……そのほぼ全てを一人で作ってるてこと?
そうなんですよ!!!(爆音)
これだけの物量を、ほぼ独力で作り上げる、そして多くの人に愛される、その異常さ、異質さ。
原作(ZUNさんの創作)が、ただそれだけでとてつもないものである、ということです。
東方原作に触れているかどうかというのは、「真に東方を好きである云々」というマウントによる低次元の話ではなく、現代で新しく発生した「総体的な東方Projectという作品・ひいては文化」を味わっているかどうかという次元の話なんです。
「プレイするべきか」という問いに対しては「強制はしない」です。
しかし、「この稀代の天才クリエイターが作り上げた『東方Project』を一番濃い味(原作)で味わって欲しい」という意味で「強くプレイをオススメ」したいんです。
ただ情報を得るためだけにwikiや動画で原作を消費するのはもったいない
僕は原作をある種ジェットコースターのようなものだと考えています。
ジェットコースターは言ってしまえば乗らずとも外から眺めるだけで「速い速度で動いて、回転するような動きもあって」と「理解」はできます。
でも、ジェットコースターってそういうことじゃなくない? という話で。乗って、高速で動く景色を味わって、風やらなにやらを肌で感じて……そういう総合的な体験がジェットコースターということで。
例えばディズニーとかでもスプラッシュマウンテンの公式動画とかありますしYoutubeを探せば主観視点で乗っている動画もありますけど、それを見たからじゃあスプラッシュマウンテンに乗らなくてもいいか? ってのは言うまでもなく体験の質が違うじゃないですか。
僕は原作をプレイするという「ジェットコースターに乗る」ような意味合いでの体験をぜひ味わって欲しいと考えています。
と、強くオススメしても原作のプレイに前向きになれないかたは、もしかしたら過去に原作を遊んだ人からマウントを取られるかなにかで拒否感があるのかもしれません。
あるいは原作を遊ぶためのなにか手段が乏しいのかもしれません。
その拒否感を言葉で解決することは僕には難しいです。
だからこそ、どれだけ楽しいか、やる価値があるかを本気で語ったつもりです。
イマ拒否感があっても、ぜひ、それを乗り越えて欲しい
もちろん合う合わないはヒトなのであると思います。でもせめて「合うか合わないか」という判断をするために、東方が好きならばチャレンジ(プレイ)してみてほしい。
そしてもし「合った」のなら、その先にしか味わえない「東方」という魅力しかない体験。本当に唯一無二です。
「二次創作を楽しむために原作は必須か?」に関しては「必須ではない」と答えます。それだけ二次創作は多種の広がりを見せていて、原作未プレイヤーでも楽しめるコンテンツは無数にあります。
しかし二次創作以前の話として「あらゆる創作物の中において、特異である『東方Project』をある種のネット文化的な側面・サブカル的教養として履修すべきか?」という問いに関しては「YES」と言いたいです。
さらにその先にある「文化の一側面としての特異な広がり方をした二次創作を芯まで味わい尽くすために原作を触ったほうが良いか?」と問われればそれにも「YES」と答えます。
そして、ただただ心がよろこぶ原始的なゲーム体験としての「東方Project」を楽しんで、二次創作も同じように楽しんで。東方全てを楽しんで欲しい。
ま、ようするに、原作をさわるとあらゆる意味でたのしいよってだけの話です
まとめ
というわけで、二次創作を楽しむためにはプレイすべきかは関係ないし、原作厨がウザいのはわかるけど、「それでも原作をプレイしてほしい!」という願いでした。
最終的には作者であるZUNさんの”飲み物代”という創作のガソリンにもなるわけですし
現状、東方の人気投票に参加する人のうち、5割以上の方が原作の最新作を買ってすらいません。
だからアナタもプレイする必要がない……のではなく、だからこそプレイしてほしいんですよね。
そこに踏み込める人は、もう一歩踏み込んだ視点で「東方二次創作」を楽しめるという魅力があります。
二次創作で原作要素を楽しみ、そして原作に戻った時に二次創作から得た視点で新しい発見がある。というような、原作・二次創作の両輪で東方を楽しめるようになります。
そしてそういう楽しみ方ができるようになったら、「自分が思う良き二次創作を探し、気が向いたら原作に戻る」という「他人に何を言われようとも自分が楽しむことに集中した東方をあそぶスタイル」が出来上がります。
これ以上楽しい趣味はあんまりない!
……と、心から思っているからこそ17年近くも東方で遊んでいるわけです。
そしてだからこそ二次創作(あるいは原作)のどちらかに肩入れしすぎていると「楽しめる幅が狭くなるの、もったいない!」と思うわけです。
というわけで、二次創作オンリーの方も、改めてぜひ原作を遊んで欲しいです。
ここまで書いた通り、「原作やれ」とは言いません。二次創作を楽しむために義務であるとも言いません。
しかし、遊ぶともっと東方が楽しくなる、とは言っていきたいです。
少しでも興味があれば、ぜひぜひ原作を体験しより深い東方の世界を味わっていただければなによりです。
そのために
以上3点セットを揃えて、素敵な東方Project原作の世界をじっくりと体験してみてください。
コメント(承認制のため反映まで時間がかかります)